(4) 2013年02月23日 箸墓古墳は、卑弥呼の墓とは全く無縁
今月20日、奈良県桜井市にある箸墓古墳で研究者16名によって現地調査が行われました。過去、立ち入りを認めていなかった宮内庁が、今回、初めて許可したことによる調査です。ただし、発掘や土器の採取などはできないため、1時間半ほど古墳のすその部分を歩き観察をしたということです。
同日、天理市の西殿塚古墳でも初めての調査が行われています。
さて、今回もいつものように箸墓古墳が、『邪馬台国の女王卑弥呼』の墓ではないかといったことが、報道されています。
我が国の多くの人々は、こういったニュースのたびに、『邪馬台国の女王卑弥呼』が、近畿にいてその地が邪馬台国だったのだろうかといったことに思いをめぐらしておられるのではないでしょうか。もちろん、九州や他の地にいたと思っておられる方もあることでしょう。
しかし、卑弥呼は邪馬台国の女王でもなく、近畿にもいなかったという二重の意味で、箸墓古墳が『邪馬台国の女王卑弥呼』の墓などということは有り得ません。
まず、卑弥呼は、邪馬壹国の女王ではありましたが、決して邪馬台国の女王ではありませんでした。その根拠とされているのがいわゆる魏志倭人伝という中国の史書ですが、そこには『邪馬台国の女王卑弥呼』という表現も、それを意味することも書かれてはいません。魏志倭人伝には邪馬台国という表現すら出てきません。邪馬台国は、後漢書にこの列島の大倭王が居するところの邪馬臺国という表現で登場しています。この臺という文字が常用漢字にないので台が代用されています。ですから、本来は邪馬臺国なのです。
では、後漢書に登場している邪馬臺国に女王卑弥呼がいたのでしょうか。ところが、その後漢書では、大倭王のいる邪馬臺国とは別の女王国として描かれています。ですから、この列島には、大倭王と女王という2大勢力がいたのです。つまり、卑弥呼は、邪馬壹国の女王ではありましたが、邪馬台国の女王などではなく、邪馬台国には大倭王が君臨していました。
そして、後漢書には、その女王国から東に海を渡って行くとそこにも国があったとも記されています。それらの記述や魏志倭人伝の記述から検証しますと、卑弥呼は南九州以外に存在することは不可能です。
次に、魏志倭人伝では、卑弥呼の墓が「径百余歩」とあります。つまり、それは、円墳を意味しています。箸墓古墳は前方後円墳ですから、全く異なります。また、前方後円墳は、二つの勢力の合体を意味しています。つまり、「倭国大乱」を制したスサノオ尊に代表される出雲の勢力と卑弥呼に代表される在来の勢力との統合の象徴が前方後円墳です。すなわち、大倭王と女王の勢力の末裔を意味しています。ですから、卑弥呼自身は円墳であって、前方後円墳で葬られることはあり得ません。卑弥呼の体には出雲の血は流れていません。
卑弥呼は、宮崎県西都原台地にある男狭穂塚古墳と呼ばれている円墳(わずかに方墳がついているので帆立貝式古墳とも呼ばれています)で、今も静かに眠っています。
では、どうして卑弥呼は、邪馬台国の女王と呼ばれているのでしょう。それは、先に見たように、この列島には倭王と女王という二つの勢力があったのですが、その倭王の勢力を歴史から抹殺するために卑弥呼が邪馬台国の女王にされているのです。
では、どうして歴史から倭王を消さなければいけないのでしょう。それは、そうしなければ都合の悪い勢力がいるからです。つまり、西暦663年11月18日、旧暦10月10日、その大倭王のいた邪馬台国を唐王朝が占領・征服してしまいました。そして、その地は、今で云う出雲にあり、当時は「やまと」と呼ばれていました。
その後、彼らは、まるで遠い過去からこの列島を支配していたかのような歴史をねつ造しました。ですから、大倭王が存在していたとなると、彼らには極めて都合が悪いので、女王卑弥呼が、大倭王のいた邪馬台国の女王であるということにして、本来の邪馬台国も大倭王もその存在を消してしまいました。
彼らは、近畿に拠点を構えたので、遠い太古の時代よりこの列島の都は、近畿に存在していたとしました。また、近畿地方は、スサノオ尊をはじめとする出雲の勢力にとっても大きな拠点でした。彼らは、製鉄を基本産業としていて、そのたたら製鉄にあっては、膨大な木材を必要とします。鉄を1トン造るのに木材を60トンも燃やします。ですから、温暖多雨という木材のよく育つ紀伊半島は、重要なエリアで「木の国」と呼ばれ、大きな産業の中心地でもあったのです。ですから、巨大な古墳を築くだけの勢力が、そこにはいたのです。
当時の政治的中心地は出雲にあり、経済的中心地は近畿にありました。言ってみればワシントンとニューヨークのようなものです。
ところが、それらが、出雲の勢力の遺跡だと分かっては、これまた都合が悪いので、卑弥呼の遺跡かのごとくに描く必要があるという訳です。ですから、何が出てくるかわからないので発掘調査など許可しません。あくまで、『邪馬台国の女王卑弥呼』の墓かの如くの偽りの情報を振りまくための許可といったところでしょうか。
我が国の歴史は、唐王朝によって全く異なる姿に変えられてしまいました。それゆえ、我が国の成り立ちの歴史は矛盾だらけです。その架空の歴史認識で1300年にわたってこの国の人々は、だまされ洗脳されてきています。さらに、我が国の支配勢力は、今をもって偽りの歴史を国民にふりまいています。
今、我が国の多くの人々は、混迷の中に置かれています。また、歴史認識的には全くの暗闇の中にあるとも言えます。しかし、暗闇の中にあるということすら分からなくされているとも言えます。
今後、我が国の人々が、未来を切り開いていこうとした時、我が国の成り立ちの歴史に立ち返らなければいけない時が必ず来ます。そういう意味においては、我が国の時計は、663年11月18日で止まったままなのかもしれません。
我が国の多くの人々が、秘められた真実の歴史を認識できた時、止まっていたその時計が再び動き始めることでしょう。
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