『邪馬台国の女王卑弥呼』
このフレーズを聞いて、疑問に思う方がどれだけおられることでしょう。わが国の歴史にあっては、その前提とでもいうほどに徹底されています。ほとんど、『常識』として疑うことなく多くの皆様の頭脳にインプットされていることでしょう。
しかし、この『邪馬台国の女王卑弥呼』というフレーズこそが、わが国の歴史に仕掛けられた最大のトリックとも言えます。
まず、『邪馬台国』という文字で表記される国は、歴史上存在しておりません。その『台』は、後漢書に登場する『邪馬臺国』の『臺』という文字が常用漢字にないため、『台』が使用されています。
ですから、『邪馬台国』とは、本来『邪馬臺国』なのです。
そして、その後漢書に登場する『邪馬臺国』には大倭王が君臨していました。
つまり、この列島の都です。
では、そこに卑弥呼がいたのでしょうか。
ところが、卑弥呼は、その『邪馬臺国』とは別の『女王国』に居たと描かれています。
その地も九州だとされています。
一方、『邪馬臺国』は出雲にありました。
今は、出雲と言っていますが、当時は『やまと』と呼ばれていました。
その『やまと国』が、後漢書に『邪馬臺(やまと)国』と記されたのです。
ですから、卑弥呼は、『邪馬臺国』、つまり『邪馬台国』には存在していませんでした。
唐王朝は、その『邪馬臺国』を出雲の地から消し、さらに卑弥呼のいた『邪馬壹国』に、『邪馬臺国』があったという歴史の改竄を行いました。唐王朝は、西暦663年秋、出雲の地にあった都『やまと』つまり『邪馬台国』や,、この列島を征服し、改竄された歴史をこの列島に押し付けたのです。
その唐王朝の勢力が、今に至るまでこの列島を支配しているため、彼らによってその後、さらなる改竄のされた歴史がこの列島の歴史となってしまいました。
ですから、唐王朝の時代より前の史書にこそ、この列島の本当の姿が残されています。
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邪馬台国発見
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