『魏志倭人伝には邪馬台国へ至る道順が記されている』
このフレーズも、多くのみなさんが当然のごとく思っておられるようです。古代史にあっては、その前提ともなっているがごとくです。しかし、魏志倭人伝には、『邪馬台国』などと表記される国は登場しておりません。
また、魏志倭人伝には、今で言う『大使館』のあった『伊都国』への道順が記されているのであって、その『伊都国』から周辺諸国が紹介されているだけのことです。その中のひとつに『邪馬壹国』という卑弥呼のいた女王国が紹介されています。
ですから、魏志倭人伝には、『邪馬台国』など登場もしていませんし、ましてやその『邪馬台国』への道順など何処にも記されていません。
そうなりますと、魏志倭人伝に『邪馬台国』なるものの道順が記されていると思っている限り、永遠にその『邪馬台国』へたどり着けることはありません。
江戸時代、新井白石や本居宣長などに始まり、今現在に至るまで、魏志倭人伝に記されている道順が『邪馬台国』へ至るものとして研究されておいでの皆様には、誠にもってお気の毒としか言いようがありませんが、それらの推察は、全くの徒労でしかありませんでした。
これも、同様に唐王朝の改竄によるものです。
唐王朝の時代に作成された史書では、本来『邪馬壹国』へ行く道順が、まさしく『邪馬臺国』への道順として描かれています。意図的に、『邪馬臺国』への道順に書き換えています。
ですから、その『邪馬臺国』は太平洋上にしか存在できないような記述となってしまい、『まぼろしの邪馬台国』となっているのです。
それらの史書こそが、歴史の改竄を行ったという永遠に消すことのできない歴史的証拠です。その改竄を行ったことを覆い隠すことが、今を以って続けられています。
ですから、それが改竄だとばれないためには、『邪馬台国論争』に決着がつかない状態を続けて行くしかないのです。
『唐王朝が歴史の改竄を行い、その唐王朝がこの列島を征服し、改竄された歴史をこの列島に押しつけている』という認識を持たない限り、『邪馬台国』の謎は永遠に解くことはできません。
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邪馬台国発見
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