万葉紀行
由美と行く 

8、

 次の日も快晴だった。
 ホテルを出て、福岡市博物館には五分程で着いた。
 「お父さん、ちょっと早かったね。まだ開館時間まで三十分以上もあるよ」
 「それまでに見たいものがあるんだよ」
 「何を?」
 「一緒に行けば分かるよ。ええと、北はどっちかな」
 父は、太陽に背を向けて歩きだした。
 10分ほど歩くと海岸に出た。
 「博多湾ね」
 「そうだよ。もっと近くへ行こうか」
 砂浜に降りると、周辺にはジョギングをする若い男女や、散歩をしているお年寄りの姿が見える。
 「穏やかな海ね」
 「このあたりが、那大津と言われていた場所かな」
 そんなに大きくはない砂浜だった。
 「今は多くの建物が海岸にあるけど、昔はもっと見通しが良かったんでしょうね」
 「きっと、長い浜辺や松林が続いていたんだろうね。古代の人々が行き交っていた頃の博多湾を見てみたいものだ」
 二人は、すぐ横を流れている川の堤防の先まで行った。
 そこからは、博多湾を広く見渡すことができた。
 「どこか琵琶湖の唐崎で見たあの風景に少し似てないかしら」
 由美が呟いた。
 「どうだろう。まあ、確かに大きな湾だから、似てなくもないかな。でも、『志賀の大津に寄せる白波』とは、この博多湾を詠っているように思えるよ」
 「志賀は、やっぱり志賀島のことを意味しているのかしら」
 二人は、しばらく博多湾を眺めていたが、開館時間が近づいたので博物館に戻った。
 「立派な博物館ね」
 「建物の前にある人物像や広い庭もかなりのものだよ」
 館内も広く、いくつかの展示場に分かれていた。
 まず最初に、金印を見ることにした。
 そこへ行くと、ショウケースの中に展示してあった。
 「わあ、これが金印なのね」
 「思ったより小さいなあ」
 「二千年も前に作られた物がこの目で見られるなんて感激するわ」
 底面も鏡に映っていた。
 二人は、しばらく見入った。
 「さあ、そろそろ行くか」
 「まだまだ、見ていたいね」
 「名残惜しいけど、まだこれからやるべきことがたくさんあるんだよ」
 二人は、他の展示物も見た。
 「ほら、これが弥生時代の博多湾の海岸線だよ」
 「今より入り込んでいるのね」
 「かなり埋め立てもされているようだよ」
 「でも、もっと奥まで入り込んでいたのかと思ったけどそうでもないのね」
 「二千年くらいでは、そう変わらないのかな。しかし、一番知りたい有明海については分からないなあ。聞いてみるか」
 父は、受付の女性に尋ねていた。
 「どうだって?」
 「調べておくので、もう少し後でまた来てくれって」
 「でも、ここは福岡市だから、有明海のことまでは分からないかもね」
 「それもそうだなあ。そこに売店があるから、何か資料がないか見てみよう」
 しかし、弥生時代における有明海の海岸線が分かるような物は無かった。
 「お父さん、ここに金印があるわよ」
 「本当だ」
 そこのショーケースに、先ほどの金印とほぼ同じ物が販売されていた。
 二人が見ていると、横にいた売店の女性が説明してくれた。
 「材質はアンチモンで、表面は二十四金によるメッキが施されています。実物から型を取っていますから殆ど同じです」
 「見た目は実物と変わりませんね」
 「複製を示す刻印が付いていなければ、見分けがつかないかもしれません。こちらは、表面に傷が無いので綺麗ですよ」
 「お父さん、新品の金印ということよ」
 「これは、買わなければ」
 父は、迷うことなくそれを購入した。
 そして、金印のことを詳しく紹介したパンフや書籍なども合わせて買った。
 買い物を終え、先ほどの案内コーナーへ戻ったが、やはり有明海の資料は置いてないとのことだった。
 ただ、隣接している図書館へ行けば何か分かるかもしれないと教えてくれた。
 「そうだね。図書館なら、いろいろな本があるものね」
 「有明海の古代の海岸線を示す資料を手に入れなければ、単なる観光旅行になってしまうよ。高山が香具山かどうかの重要な判断材料になるんだから」
 その図書館に行くと、あまりの規模の大きさに二人は驚いてしまった。
 「とっても広いわね」
 「ここならあるかも知れないよ」
 総合案内で聞くと二階だと教えてくれた。
 二階で聞くと、そのまた奥で聞いてくれとのことだった。
 一番奥のカウンターの女性に聞くと、書棚をいくつも調べてくれた。
 しかし、必要としている資料は見当たらなかった。
 「これだけの本があるのに無いとなると、有明海周辺の図書館をまわらなければいけないのかなあ」
 「お父さん、それは大変よ」
 「となると、資料を手に入れるのはむずかしいのかもなあ」
 その女性も困った様子だった。
 「あとは、こちらの郷土資料のコーナーくらいでしょうか」
 「お忙しいところをありがとうございました。とりあえず探してみます」
 ここに無ければあきらめるしかなかった。
 「目当ての資料はあるかしら」
 「とにかく探してみよう」
 二人は、膨大な本棚を探した。
 「お父さん、ちょっと来て」
 「何か見つかったのかい」
 父が、そこへ行くと福岡市周辺の市史や町史がずらりと並んでいた。
 「おお、この中にあるかもしれないよ。でも、どの市や町が該当するのかさっぱり分からないなあ。そうだ」
 父は、鞄の中から九州の地図を出した。
 「あら、いつの間に地図を買ったの?」
 「いろいろまわるから、さっきの売店で一緒に買ったんだよ」
 「早速役に立ったわね」
 それを見ながら筑紫平野にある市や町を次々と調べていった。
 「お父さん、ほら、これじゃないかしら」
 そこには、縄文時代から弥生時代へと有明海がどう変わったのか図で示されていた。
 「やったあ。とうとう見つかったよ。これで、来た甲斐があったというものだよ」
 「良かったね」
 しばらく、探しているといくつかの町史に使えそうな資料があった。
 「じゃあ、コピーしてくるよ」
 父は、それらの本を抱えて、コピー機の所へ行った。
 由美は、父がコピーをしている間、そこに出していた本を元の棚に戻した。
 由美がふと見ると、大牟田市の古代史について書かれた本があった。
 父は、まだコピーに時間がかかりそうだから、由美はその本に目を通した。
 大牟田市発行ではなく、個人の著書だったが、古代大牟田について、かなり詳しく述べられていた。
 「ええっ、天の香具山?」
 その中に、古代大牟田には天の香具山と呼ばれていた山があったと記されていた。
 有明海に面した場所にあり、今は陸地になっているが、当時は海の中にいくつもの島があったというのだ。
 そして、ある時期その周辺に宮も存在していたと述べている。
 『宮があって、天の香具山ということは、まさか国見の場所?』
 しかし、由美は、大牟田に古代の宮が存在していたというのも、はたしてどの程度根拠のある話なのかよく分からなかった。
 「お待たせ、結構たくさんあったよ」
 父が、コピーした資料と本を抱えて戻ってきた。
 そして、元の場所に本を戻した。
 「お父さん、天の香具山が古代の大牟田に存在していたと書いている本があったんだけど、どうなんだろう」
 「大牟田に? 聞いたことないよ。ちょっと、見せてくれるかい」
 父は、その本を手にして開いた。
 「どうだろう。よく分からないな」
 「万葉集とか国見の歌とかには特に触れてはいないから、そんなに見晴らしが良い場所でもないのかしら」
 「何とも言えないなあ。どちらにせよ、今回は高山がメインだから、大牟田までは手が出せないよ」
 「そうよね」
 「じゃあ、行こうか」
 貴重な資料を手に入れた二人は、次に大宰府へ向かった。
 再び都市高速からバイパスを走り、三十分程で大宰府に着いた。
 「あっ、大宰府政庁跡だわ」
 正面に、まるで野球場を思わせるような広場が見えた。
 天気も良く、多くの人の楽しそうな姿があった。
 父は、政庁跡前の信号を右折して、そのまま走り続けた。
 「お父さん、政庁跡は過ぎたよ」
 「駐車場は、どこにあるんだろう」
 「どんどん後ろに過ぎ去っていくよ」
 「仕方がない、先に大宰府天満宮へ行こうか。そうだ、この近くに観世音寺もあるんだよなあ」
 父は、車が置けるかどうか見ながら走っていた。
 「そこに、観世音寺と出ているよ。車も置けそうよ」
 「よしっ、入ろう」
 参道には、大きな古木が並び、歴史の古さが感じられた。
 「でも、どこか建物は寂しそうね」
 「殆ど使っていないように見えるよ」
 大宰府政庁横の観世音寺は、さぞかし立派な寺院であろうと予想していた父は、その佇まいに少し驚いた。
 「お父さん、周辺に敷石がたくさん残っているよ。建物の土台だったのかなあ」
 「廃寺跡みたいだね。以前は、周辺にもっと建物があったんだろうな」 
 「わあ、綺麗なもみじね」
 大きなもみじの木があり、その周辺では入れ替わり写真撮影がされていた。
 父も数枚撮影して、観世音寺を後にした。
 「どこか寂しさが漂っていたわね」
 「訪れる人は多いのに、何故だろう」
 大宰府天満宮に着くと、そこは参拝客であふれていた。
 「そうか、綺麗に着飾った親子連れが多いと思ったら七五三だよ」
 「わあ、かわいい」
 着物姿の小さい女の子が、若いお母さんに手を引かれて歩いていた。
 それを、お父さんがビデオに撮っている。
 本堂も、参拝者で一杯だった。
 「すごい人出ね」
 二人も参拝を終え、参道をまた戻った。
 「大宰府天満宮と言えば、学問の神様菅原道真よね」
 「そうだね。当時は、平安時代と言われているけど、はたして多くの庶民はどうだったんだろう。藤原一族にとっての平安な時代だったのかもしれないよ」
 「でも、藤原氏と言えば鎌足から始まるんでしょう。その後、鎌倉時代になるまで栄華を誇っていたのよね」
 「そうだね、摂政関白として実権を握り、道長は『この世をばわが世とぞ思う望月の欠けたる月も無しと思えば』と詠うほど、すべてを思うがままにしていたわけだ」       
 「まるで日本書紀の言う蘇我氏状態よね」
 「なるほど、そうだよなあ」
 駐車場に戻ると、そこに入れない車が並んでいた。
 「初詣の頃はもっと多いんでしょうね」
 「だろうね。そう言えば今年の正月は、久しぶりに初詣に行ったよなあ」
 「だったよね。来年はどうするの?」
 「そうだなあ。今年は、いろいろ古代史について調べていただろう」
 「そうね」
 「全国の神社の八割はスサノオを始めとした出雲の神を奉っているらしいんだよ」
 「ふうん、そうなんだ」
 二人の乗る車は、駐車場を出た。
 「だからね。そのスサノオが埋葬されていると言われる熊野山の近くにある熊野大社に行ってみようと思っているんだ」
 「熊野山って?」
 「松江のちょっと手前を南に入った所にあって今は天狗山と呼ばれているそうだよ」 
 「じゃあ、神社の総本山ってところね」
 「かもね。もう、聖地かもしれないよ」
 二人が、先ほど来た道を戻ると、また政庁跡地前に来た。
 先ほど右折した信号を通り過ぎると駐車場が右手にあったので、そこに車を止めた。
 「広いわねえ」
 「これは、野球場より広いかも」
 「飛行機を飛ばしているわよ」
 青空に、エンジン付きの飛行機が幾つか飛んでいた。
 「さっきの、観世音寺みたいにここにも基礎の石がたくさん残っているね」
 その広い敷地に、いくつもの棟があったのも分かった。
 「これは、大宰府政庁跡と言うよりも朝廷跡地のようだよ。大宰府政庁とは、大和朝廷の所謂出張所だろう。この広さと建物の規模は、とても出張所じゃないよ。きっと大内裏跡、または大極殿跡だよ。ということは、この周辺は倭国の都だったということかな」
 「都?」
 「ほら、後ろが山で少し高くなっているだろう。そして、北を背にして南向き。前には真っ直ぐな広い道があって、横には、寺院が並んでいるよ」
 「そう言えば、平城京の大内裏と東大寺の位置と、ここと観世音寺の位置関係は似ているわね」
 「まあ、想像はいくらでもできるんだけどね。でも、この規模で出張所はないでしょうと思うよなあ」
 「確かに広いわね」
 二人は、跡地で遊ぶ家族連れを見ながら、過去の姿を想像した。
 大宰府政庁跡に夕暮れが近づいていた。



                           

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