7、

 いよいよ、土曜日がやって来た。
 「気をつけてね」
 「じゃあ、行ってくるよ」
 父は、まだ見ぬ九州の地に思いを馳せながら車を走らせた。
 天気予報では、九州方面に晴れマークが並んでいたので好天が期待できる。
 そして、よく晴れた中、中国自動車道をひたすら西へと向かった。
 父は、広島のあたりで昼食休憩をとり、由美にメールを送った。
 {予定通り博多に向かって快適に走っているよ。では、後ほど博多駅で}
 由美からも返信がすぐに届いた。
 {このあと京都駅から一時過ぎの新幹線に乗ります。快適すぎて居眠り運転なんかしないように気をつけてね}
 そして、日が少しずつ西へ傾く頃、関門海峡を渡り小倉に入った。
 そして、九州自動車道から都市高速を経て博多駅に着いた。
 「お父さん、こっちよ」
 由美は、改札口近くで待っていた。
 「やっと着いたよ。初めての道は分かりにくいから緊張するよ」
 「でも、ほぼ定刻に着いたね」
 「九州はやっぱり遠いなあ。途中あまり休憩する余裕が無かったよ。三時半頃には着いて少し休む予定だったんだけどね」
 「お疲れ様でした。じゃあ、ちょっと休憩する?」
 「そんな暇はないよ。すぐに志賀島に向かうよ」
 「ええっ、今から?」
 「今は、四時過ぎだから日暮れまでにはまだ時間がある。今日の内に行っておきたいんだ。『俺達に時間は無い』」
 「何よそれ」
 「由美にはちょっと分からないかな。さあ、行くよ」
 再び都市高速を走り、北へ向かった。
 案内板に『海の中道海浜公園』とあった。
 「あっ、これだ」
 表示に従ってしばらく走り続けた。
 「お父さん、ほら、島が見えてきたわ」
 二人の眼前に砂浜とそれに繋がる島が現われた。
 「志賀島だ!」
 「とうとう来たのね」
 志賀島に向かって延びる細長い砂州の右手には穏やかな海が広がっていた。
 「わあ、見て見て綺麗な砂浜よ」
 「ああっ、これは!」
 父は、その風景に釘付けになった。
 そして、右手の道路沿いに車が数台並んでいたので、その横に止めて降りた。
 「これだよ。この風景だよ」
 「お父さん、どうしたの?」
 「ほら、見てごらん。この砂浜に静かに寄せている白波。それもさざなみだよ。これだよ。これが、万葉集に詠われた志賀の『さざなみ』だよ。そして、周囲に広がるこの風景を歌にしたんじゃないだろうか」
 由美も周辺を見回した。
 北には砂浜が広がり、南には穏やかな博多湾やそこに浮かぶ島々。
 そして、ゆっくりと進むいくつかの船。
 どの方角を見ても自然の造形美にあふれていた。
 由美にも父の言わんとすることが分かるような気がした。
 「こんなすばらしい景色は初めてだよ」
 父は、そう言いながら周囲の景色を撮影していた。
 今は、この砂浜にサーファーが集まっているが、昔はここにどんな人たちが行き交っていたのだろう。
 父は、この風景を同じように眺めたであろう過去の人たちに思いを寄せながら、志賀島へ向かった。
 島に入ると、金印公園を指し示す案内板が出ていた。
 「お父さん、そこを左に行くと金印公園だって」
 「なんか狭い道だなあ」
 「島だからね。仕方がないわよ」
 斜面を削ったような道を行くと、人里離れた場所に金印公園があった。
 道沿いの駐車場から斜面を少し上がった所に、金印の発見を表示した展示物があった。
 「狭い所だけど、ここが金印の発見場所なのね」
 「そうだね。でも、どうしてこんな所から見つかったのだろう」
 「周りには何も無い所なのにね」
 二人は、しばらく周辺を眺めた。
 「日も傾いてきたから、もう行こうか。明るいうちに志賀島を一周できるかな」
 再び海岸沿いの道を走り始めた。
 「お父さん、ほら見て」
 水平線の少し上のあたりに雲が細長く横に棚引き、その下から夕日が少しずつ顔を出していた。
 その赤く輝く夕日から、放射線状に光の筋が四方に広がっている。
 「なんて綺麗なの」
 「ちょっと、どこか車を止める所はないかなあ」
 そこから少し走っていると国民休暇村があり、その前には南北に砂浜が広がっていた。
 「たくさんの人が夕日を眺めているわ」
 「ここに止めさせてもらおう」
 そのあたりは、夏には海水浴場になっているようで、駐車場も完備されていた。
 「お父さん、今にも沈みそうだよ」
 二人は海岸へ急いだ。
 一キロメートルはありそうな砂浜には、若い二人連れからお年寄りまで、多くの人々が夕日を見に来ていた。
 ちょうど、海を隔てた遠くに見える島の山間に沈んでいこうとしていた。
 父は、その夕日を次々とカメラに収めた。
 「あの山の窪んだ所に沈む角度で撮影したいから、もう少し向こうへ行こう」
 二人は、海岸沿いを北の方へ向かい、砂浜の一番端のあたりまで来た。
 「お父さん、ほら、その向こうに小さな島があるよ」
 志賀島の北端に殆どくっつくようにして小島が見えた。
 「そうだね。なんか鳥居も見えるよ。どういった島なんだろう」
 「何だかいわくがありそうよね」
 二人は、その島が気になったが、夕日の方が急ぐのでそれ以上見てはいられなかった。
 「ここは、最高の撮影スポットだよ」
 ちょうど、父の言っていた場所に少しずつ夕日が沈んでいこうとしていた。
 海面に反射する赤い光の帯が揺らめいて、幻想的な風景を作り出している。
 父は、あまりの美しさに、しばし撮影の手を止め、心に刻み込むかのようにその夕日を見つめた。
 赤く光り輝いていた夕日であったが、沈む瞬間は弱々しく静かに姿を消した。
 「綺麗だったね」
 「本当にいいものを見せてもらったよ。生きているうちに、またここに来てあんな綺麗な夕日を見られるだろうか」
 感動的な映画を見た後のように、そのあたりにいた人たちが帰り始めた。
 「ここでなくても、他でも夕日は見られるわよ」
 「『わが命のま幸くあらばまたも見む志賀の浜辺に沈む夕日』どうだ、いいだろう」
 「思いっきりパクリじゃないの」
 「すばらしい物を見た後は同じような思いになるものだよ」
 「ちょっと違うと思うわ。あの歌は、本当に命がそんなに長くないと切羽つまった思いが滲み出ているわよ」
 そんなことを話しながら車に戻ると、父は地図を広げた。
 「沖津島と言うのか」
 「さっきの島のこと?」
 「そう。なんか気になる島だったよなあ」
 「鳥居まであったよ」
 「沖津島のすぐ側に中津宮とあるだろう。何かあの島が大切に奉ってあるように思えるんだよ」
 「また、調べることにしましょうよ」
 「そうだね。さて、どうしよう。今から島を一周する時間は無いからもう帰ろうか」
 「そうね。それがいいわね」
 夕暮れの中、二人は、ホテルへ向かった。



                            

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