6、
滋賀から鳥取の自宅に帰った恒之には、休む間もなくすぐに仕事が待ち受けていた。
「前山さんから注文が入っていたわよ。今日中に届けて欲しいって。それと、夜は公民館にも行ってね」
妻の言葉で現実へと一気に引き戻されていくのだった。
恒之は、昨日まで娘と二人で古代史に没頭していたことが、まるで夢であったかのように思われた。
そんな慌しい日々が続く中、恒之は、九州へ行きたいと言い出せずにいた。
「ねえ、お願いがあるんだけど」
「何だい?」
妻が恒之に話し掛けてきた。
「実は、神戸に行きたいんだけどいいかしら。もし都合がつくなら、あなたも一緒にどうかなと思って」
「神戸に?」
「来月、クリスマスの頃にルミナリエを見に行きたいのよ。だめかしら、日帰りでいいんだけど」
「ああ、いいよ。日ごろ一人でのんびり旅行がしたいと言っていただろう。行ってくればいいよ」
「えっ、本当にいいの。私、あの光のオブジェを一度見たかったのよ。ところで、あなたは行かないの?」
「神戸は以前行ったからいいよ。せっかくだから泊まってきてもいいのに」
「それが、その頃はいろいろ忙しくて泊まってもいられないのよ。良かったわ、今からとっても楽しみ」
妻は、念願が叶ってうれしそうだ。
一方、恒之にとっては、九州行きを話す願ってもないチャンスの到来だった。
「実は、こちらからもお願いがあるんだけど、いいかなあ」
「なあに。何でも聞いてあげるわよ」
妻は、神戸に行けることになって最高にご機嫌である。
「九州に行きたいんだよ」
「九州?」
「そう、万葉集や古代史について、今いろいろ調べているだろう。国見の歌がどこで詠われたのか解かりそうなんだよ。それを確かめるためにどうしても行きたいんだ」
「それで九州まで」
「ちょっと調べたら、すぐに帰ってくるからいいだろう」
「何日程?」
「三日かな。あるいは四日になるかも」
「ちょっとじゃないでしょう」
「博多だろう。大宰府だろう。吉野ヶ里だろう。高山だろう。行くだけで一日かかるから、それくらいになりそうなんだよな」
これは、いくらなんでも簡単に了解してくれるとは思えなかった。
「私は日帰りだというのに、あなたは四日も行ってくると言うのね。この前、滋賀や奈良に行ってきたばかりじゃない」
「ところが、そこで九州が俄然重要な地域だと分かったんだよ」
恒之は、必死にその重要性を訴えた。
「そうねえ。どうしようかしら。まあ、いいわ。行ってらっしゃいよ」
「ええっ。本当にいいのかい」
「いいわよ。私は神戸に行けるから」
妻は、やはり最高にご機嫌だったのだ。
恒之は、天にも昇る思いだった。
「ありがとう」
「それで、いつ行くの?」
「土曜日には出たいよ」
「あら、もうすぐじゃない」
恒之は、ルンルン気分で由美にメールを送った。
{お父さんは、見事に最大の難関を突破したよ。土曜日に博多へ向かう予定にした。向こうで何か分かったら知らせるから楽しみに待っていてくれ}
そして、恒之はインターネットでホテルを調べるためにパソコンに向かった。
しばらくすると、由美から返信が届いた。
{お父さんやったね。でも、お母さんが、よくOKしてくれたね。もし、都合がつけば私も行きたいな。詳しい日程が分かったら教えてください}
恒之は、日程を考えてそれに都合の良さそうなホテルを選んだ。
『しかし、由美は本当に一緒に行くのだろうか』
恒之は、その日程を由美に知らせた。
そして、しばらくするとまた返事が来た。
{連休も重なるので、どうにか都合がつきます。土曜日の四時頃には、博多に着けそうです。高山からはどんな眺めが見られるんだろう。今からワクワクしています}
ホテルも二人分が確保され、九州行きの準備が着々と進められていった。
その日の午後、恒之は妻を車に乗せて、隣町のデパートに出かけた。
妻は、買い物の後で書店にも寄ると言っていたので、恒之は図書館に行くことにした。
図書館は、平日の午後ということもあり、閑散としていた。
恒之は、九州に関する古代史の本を数冊取り出し、閲覧コーナーで読み始めた。
それらを読むと、諸説があるものの、北九州に倭国が存在していたことに間違いはないと思われた。
その象徴とも言えるのが、後漢の光武帝から授かった『漢委奴国王』の金印である。
これは、当時、倭国が漢の影響下で交易を行なっていたことの証明であり、古代史の中では、第一級の証拠資料とされている。
金印は、卑弥呼にも魏から『親魏倭王』の印が授けられているので、もしかしたら未だ発見されることなくどこかで密かに眠っているのかもしれない。
その倭国は、西暦六六三年の白村江の戦いに敗れて滅亡したとあった。
『倭国と白村江の戦いねえ』
恒之は、とてもすぐには読み切れそうになかったので、三冊ほど借りることにした。
図書館を出ると、夕暮れ時になっていた。
『迎えが遅いと怒っているかなあ』
妻は、先ほどのデパートの中にある書店にいた。
「待った? 図書館で倭国についての本に思わず熱中してしまったよ」
「もっとゆっくりしても良かったのに」
そんなに心配することもなかったようだ。
その夜、恒之は借りてきた本を読んでいたが、今まで知らなかった倭国の姿が次第に見えてきた。
倭国は、唐と新羅に滅ぼされようとしていた百済を救済するために数万の兵を送った。
だが、倭国軍は壊滅的な大敗北を喫した。
これが、白村江の戦いと言われているものである。
その後倭国は滅び、戦勝国である唐と新羅の影響が色濃く残る中、日本国が誕生した。
その新日本国の法体系とも言うべきものが大宝律令であり、七〇一年に完成している。
そして翌年、三十年間倭国滅亡以来途絶えていた遣唐使を送り、日本建国を唐に報告している。
しかし、にわかに誕生したばかりの国を、唐は不信に思ったようである。
旧唐書には、当時の遣唐使の様子が伝えられている。
『日本国は倭国の別種なり。その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名とす。あるいはいう、倭国自らその名の雅ならざるを悪(にく)み、改めて日本となすと。あるいはいう、日本は旧(もと)小国、倭国の地を併せたりと。その人、入朝する者、多く自ら矜大(きょうだい)、実を以て対(こた)えず。故に中国焉(こ)れを疑う』
唐から不信に思われたということは、建国したばかりの日本国にとって、それは天下の一大事であった。
そこで日本国は、その正統性を唐に伝えようと日本書紀を十数年かけて作り上げた。
しかし、紀元前六六〇年に建国されたとするなど、誠実に歴史を書き記そうとはしなかった。
そして、虚構の歴史観、あるいはその不誠実な姿勢というのは、千三百年後の今に至るまで脈々と受け継がれている。
『そうか、そうなると、それ以前に存在していた倭国や出雲王朝は、新日本国にとっては甚だ都合が悪くなるよなあ』
古代史に覆われていた謎が、恒之の中で少しずつ解けてきた。
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