万葉紀行
由美と行く 

4、

 二人は、次に飛鳥の地を目指した。
 「さっき、奈良の地名について聞いていたけど、どうして?」
 「ああ、あれねえ。地名は、その地域の歴史と密接な関係があるだろう。どうして奈良と呼ばれるようになったのかなあと、疑問に思っていたんだよ」
 「確かに地名には、そこの歴史が垣間見えるわね」
 車は、天理市を過ぎて桜井市に入った。
 「あっ、三輪そうめんだって。このあたりが産地だったのね」
 「左手に山が見えるだろう。あれが万葉集にも詠われている三輪山だよ。そのふもとに大神(おおみわ)神社があって、この大和地方に王朝を築いた大物主神が奉られているそうだ」
 「大物主神ねえ」
 由美は、綺麗な円錐状の山を眺めた。
 「あの山は、禁足地になっていて、誰でも登れる山ではないそうだ。山頂には磐座(いわくら)があって、スサノオの息子のニギハヤヒが埋葬されているとも言われているよ」
 「神聖な場所だというわけね。ということは、大和の国は出雲の神様が開祖だということになるわね」
 「ただ、この地にいた葛城長髄彦(カツラギノナガスネヒコ)と協力して建国したとされているけどね」
 二人が、話しているうちに三輪山は、背後に移っていた。
 「この三輪山の南側には『出雲』という地名が今も残っているから、やはり関連がありそうに思えるよ」
 「奈良に『出雲』が? また大学の図書館で、奈良の歴史を調べてみようかな」
 昼時になったので軽く昼食を済ませ、午後は、まず高松塚古墳へ行くことにした。
 桜井市から明日香村に入ると、一変して山の中といった風景になった。
 「どう行けばいいんだろう」
 父は、道の横に車を止めて、後ろの荷物から地図を取り出した。
 「大きな地図ね」
 「全体の地理感覚がよく分からないから、道路地図を張り合わせたんだよ。持って来て良かった。それで、高松塚古墳はどこだ」
 「あっ、ここよ」
 「そうか。すると、今はこのあたりだから、そこを左に行けばいいんだ。よし、分かったぞ」
 そして、五分と走らないうちに、高松塚古墳にやってきた。
 「ほら、お父さん、ここだわ」
 「人出が多いのか、駐車場整理の人が立っているよ」
 父は、係員の指示に従って車を置いた。
 「さあ着いたよ。でも、古墳はどこにあるのかよく分からないなあ」
 父は、近くの係員に聞いた。
 「どうだった?」
 「そこの地下道で道の向こう側に渡って、まだしばらく歩くそうだ」
 「少し離れているのね。その前に、そこに歴史公園館があるから入ってみましょうよ」
 「そうしようか」
 中に入ると、風景写真の大きな映像が正面にあった。
 そして、その横には、万葉集の冒頭第二首の歌が書かれていた。
 「おおっ、ほら、あの時お父さんが言っていた万葉集の歌だよ」
 「この歌が、そうなんだ。でも、眺めの良さそうなところから撮った写真ね。この国見をしたという香具山から撮ったのかしら」
 「この写真は違う場所で撮っているよ。ほら、甘樫丘から撮影したとあるだろう」
 「そうね。てっきり国見をした所から撮影したのかと思ったわ。でも、香具山の方が見晴らしは良いんじゃないの」
 「さあ、どうだろう」
 すると、そこに男性が数名入ってきた。
 彼らは、楽しそうに話しながら、その写真を見ていたが、その中の一人が周りの男性に聞いた。
 「この歌の中に『海原』とあるが、香具山の近くに海は無いよなあ」
 すると、隣にいた男性が答えていた。
 「この『海原』は、近くにある埴安(はにやす)の池を海に見立てて歌ったそうだよ」
 「かもめは?」
 「周囲は、当時湿地帯だったらしく、そこに来る鳥をかもめとして詠んだのではないかということなんだ。一応、そういう解釈になっているみたいだよ」
 「なるほどねえ」
 そして、その隣の男性は、写真に近づき指差していた。
 「これが、二上山(にじょうざん)で悲劇の人『大津皇子』が葬られているんだよ」
 「おっ、中々詳しいなあ」
 その男性達は、笑いながら次へ移動していった。
 「やっぱり、誰が見てもそう思うよなあ」
 「どうしたの?」
 父は、その写真を見ながら呟いていた。
 「海も無ければ、かもめもいない。そんな場所でこの歌を本当に詠んだのだろうか。これが、お父さんの言っていた、今一番の疑問なんだよ」
 由美も、そこに書いてある歌をじっくりと読んでみた。

 
大和には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎(かまめ)立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は

 
「国原には煙が立っていて活気に溢れ、海原には鴎が飛び交うすばらしい島国だと、大和の国を詠んでいるように思えるわね」
 「これが、池を海に見立てた歌だと解釈されているんだよ。綺麗な海や島を眺めながら詠んだ歌のように思えるんだよなあ。蜻蛉とはトンボのことで、トンボが連なって飛んでいるように島がたくさんある風光明媚な大和の国だとね」
 「このあたりには、海も島もないわね」
 「どう考えても変だよ」
 「これ以上、ここで考えてもどうしようもないわよ。早く古墳を見に行きましょうよ」
 「そうするか」
 二人は、歴史公園館を出ると、高松塚古墳に向かった。
 地下道を抜けて少し行くと、古墳と古墳との間が広い芝生の公園になっていて、家族連れの楽しそうな姿が見えた。
 「のどかな風景ね。秋の花々も一杯咲いているわ」
 「子供連れで一日過ごすにはとてもいい場所だよな」
 そして、しばらく歩き、小高い丘を越えると古墳の発掘場所に来た。
 だが、そこには工事中のように大きな覆いがしてあった。
 「そうだ。そう言えば古墳内の壁画にカビが出てきているようなことが報道されていたよ。一旦外気に触れると劣化が進んでしまうんだろうなあ」
 「こっちに壁画館があるわよ」
 「よし、入ってみよう」
 その中には、石室の壁面がリアルに再現されていた。
 「人物が着ているのは唐の服装みたいよ。他にもいろいろ描かれているね」
 「東に青龍、西に白虎、北に玄武、そして東に太陽と西に月、天井に星宿。これは、当時の唐の思想に基づいて埋葬されているそうだよ。盗掘で壊された南には朱雀があったらしい」
 石室内部のレプリカを覗けるようにもなっていた。
 「なるほど、こうなっていたのか」
 「時代としては、天武・持統・文武朝の頃だそうよ」
 一通り見ると二人は外へ出た。
 「当時は、唐の影響が大きかったので、それで唐の様式で埋葬されたのだろうか。あるいは、唐からやって来ていた人かもしれないいよ」
 「唐の国を偲んで埋葬されたのかしら。どんな人が埋葬されていたんだろうね」
 そして、二人の後からも次々と観光客がやってきた。
 「じゃあ、次は大和三山ね。どの山から行くの?」
 「来る途中に甘樫丘があったから、まずそこを登ってみよう。ちょっと気になることがあって、どうしてもそこには行っておきたいんだよ」
 「甘樫丘ね。分かったわ」
 先ほど来た道を戻ると、すぐに甘樫丘の駐車場があり、そこから、上に登れるようになっていた。
 「どれくらい歩くのかしら。今日は、ずいぶん歩いたから足が疲れてきたわ」
 「さあ、もうひと頑張りしよう」
 ジグザグした登りの道を上がっていくと、川原展望台を指し示す矢印があった。
 「ほら、こっちに展望台があるから行ってみよう」
 その展望台に着くと若い女性が数名休んでいたので、由美も腰掛けた。
 「あそこに見えるのが二上山ね」
 女性達の話し声が由美の耳に入った。
 『二上山ってさっきも聞いたわ』
 由美が、ふとその方向を見ると、先ほど写真で見た景色だった。
 「お父さん、さっきの写真と一緒よ」
 「本当だ。なるほどここで撮影したんだ」
 父は、すぐにカメラを構えた。
 少し休憩して、二人はその場を離れた。
 「そう言えばお父さん、この甘樫丘で気になることって何だったの?」
 「この丘の上に蘇我氏が住居を構えていたことになっているんだよ。それを確かめたくてね」
 「蘇我氏って、あの馬子や入鹿とかの?」
 「そう」
 「この丘の上に家を構えるにはちょっと狭いわね。向こうに広い場所があるのかしら」
 二人は、周辺を見まわしながら木々に囲まれている尾根沿いを進んだ。
 「豊浦展望台って書いてあるわ。その向こうにあるみたいよ」
 「そうだね」
 少し行くと展望台に出た。
 そこは、先ほどよりも人が多かった。
 「ここも、見晴らしがいいわね」
 「大和三山がよく見えるよ。ほら、向こうには三輪山も見える」
 父は、またいろいろな方角にカメラを向けていた。
 近くで、団体客のガイドがみんなに説明をしていた。
 「向こうには、大和三山や二上山が見えています。そして、こちら東側に広がっているのが、当時の天皇家の住まいがあった場所です。それを見下ろすようにここ甘樫丘には、蘇我氏の屋敷があったと言われています。このことからも、蘇我氏が天皇家をしのぐほどの大きな力を持っていたということが分かります」
 父と同じような事を話している。
 だが、由美には天皇家をもしのぐ権力者の屋敷が、この狭い尾根沿いに建てられていたとは思えなかった。
 『建てるなら、東側に広がるあの山の斜面じゃないかしら』
 由美は、天皇家の住まいがあったという東の方角を見た。
 『あの上の方から天皇家を見下ろしていたというならまだ分かるわ』
 父が、写真の撮影を終えたようだ。 
 「外人さんも多いなあ」
 「いろんな国の人が来ているね」
 「さしずめ、万葉サミットといったところかな」
 「万葉サミットはいいわね」
 近くにいるインド風の男性に、日本人の女性ガイドが一生懸命英語で説明していた。
 「さあ、そろそろ降りるか」
 「そうね」
 二人は、先ほど来た道を戻った。
 「お父さん、蘇我氏の住まいについてはどうだった?」
 下りながら由美は、父に聞いた。
 「ここは、国見をする場所としては最高だけど、住む場所に適切かどうかは疑問だな」
 「やっぱり、お父さんもそう思ったのね」  
 「仮にも天皇家をしのぐ権力者の住まいだよ。何かそれらしい跡が残っていてもいいだろう」
 「そうよね」
 「それに、丘の上だと相当しっかりとした土台がないと家はもたないよ。だが、そんな形跡はまったく見られなかった」
 ようやく丘を下り、駐車場に近づいた。
 「そうなると、この上には蘇我氏の住まいは無かったのかもしれない」
 「向こうに見える山の斜面の方だったということはないかしら」
 「それなら、そういう記録が残るだろう。この丘の上にあったと日本書紀で特定されているということは、他には無かったということだよ」
 「それって、どういうことなの?」
 「蘇我蝦夷や入鹿の住まいは、丘の上にあったとは考えにくい。他にも無かったとなると、これら蘇我氏そのものの存在がどうなのかということになってくるよ」
 由美には、よく分からなかった。
 「謎の蘇我氏ということ?」
 「はたして日本書紀の記述は史実だったのだろうか」
 「難しい話よね」
 「そうだよな。では、最後の大和三山へ行こうか」
 「日も傾いてきたし、早く行こうよ」
 「万葉の地、飛鳥の夕暮れ時。中々いいシチュエーションだよ。さて、どう行けばいいのかな」
 父は、車の中で先ほどの地図を広げた。
 「そうか、この道を真っ直ぐ行けば藤原京跡地だよ」
 車を走らせると、すぐに着いた。
 「広いところね。向こうで子ども達が野球をして遊んでいるわ」
 「でも、何もない所だなあ」
 「ほら、あそこに何か見えるわよ」
 「何だろう。行ってみるか」
 そこには、『持統天皇文武天皇藤原京跡』と記された石碑と、その横には、石の杭に囲まれた巨木があった。
 父がそれらを写真に収めていた。
 「お父さん、あの山が香具山かしら」
 「そうだね。あれが、香具山で、あれが耳成山かな。となるとあちらが畝傍山だよ。ちょうどここがその中心に位置しているよ」
 「藤原京って大和三山に囲まれた中にあったのね」
 「ここから、持統天皇が天の香具山を眺めながら詠ったと言われている歌があるよ」
 「あっ、それ知っているわ。『春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣乾したり 天の香具山』だったわね」
 「よく覚えていたなあ」
 「これは有名な歌だからね。それに、講義にも出てきてたからね」
 「でも香具山は、どう見てもそんなに特徴のある山ではないよな」
 「そうね」
 由美が、ふと見ると北東の方向にあの円錐形の山が見えた。
 「お父さん、あれは三輪山だよね」 
 「ああ、そうだね。奈良盆地では、どこからでも見えるのかな」
 父は、そう言いながら周囲の山を見回していた。
 「そうだ、由美。この大和三山の山頂を結ぶとちょうど二等辺三角形になるんだよ」
 「ええっ、本当に?」
 「あの大きな地図を作っていた時に、その位置が気になって長さを計ってみたんだよ」
 「へえ、そうなんだ。おもしろいね」
 「不思議なこともあるもんだよ。さあ、香具山に行こうか」
 車に戻り、由美は先ほどの地図を見た。
 「あっ、本当だ。線が引いてある」
 三つの山頂が、鉛筆の線で繋いであった。
 由美は、側にあった紙とペンで畝傍山を頂点にして香具山と耳成山との長さを比べた。
 「ええっ、本当なの? 嘘でしょう」
 由美は、もう一度比べてみたが、十五センチ程の長さでぴったりと同じだった。
 「お父さん、まったく一緒よ。一ミリの違いも無いわよ」
 「驚くだろう。実際に測量がされているのかどうかは知らないけれど、大和三山は、畝傍山を頂点とした二等辺三角形に位置しているんだよ。これが本当に自然に出来た山なのだろうか」
 「でも、偶然なんだろうね。まさか人工では造らないでしょう」
 「造ったとしたら耳成山かな。他の二つはどう見ても自然の山だよ」
 「まあ、あの耳成山なら、考えられなくもないかな。でも、ちょうど二等辺三角形になるからといって、山を造るわけないわよ。それこそ記録が残るでしょう」
 「だろうね。自然の作り出した偶然にしては驚きだよね。それにもう一つ、興味深いことがあるんだよ」
 「まだ何かあるの?」
 「この大極殿から、耳成山と香具山とのちょうど真中を通る直線を引いた先には何があると思う?」
 「この先に?」
 由美は、赤ペンで大極殿から北東に線が引いてあるのが分かった。
 「これね」
 折りたたんであるその地図を広げると、その先には三輪山があった。
 「大神神社と三輪山があるわ」
 「じゃあ、今度はその線を逆に延ばしていくと、どこへ行きつくと思う?」
 「この反対側ね」
 由美が、地図を広げてその線の先をたどると神社の印があった。
 「葛城一言主神社があるわよ」
 「藤原京大極殿を挟んで、大神神社と葛城一言主神社が直線上に相対しているんだよ。これは、ただの偶然なのだろうか」
 「大神神社から線が延びて、大和三山がまるで矢印のようね」
 「そうなんだよ。そして、矢印が指すその先には、葛城一言主神社があるんだよ」
 「何か意味深ね。お父さんはどう思うの」
 「今考えられるのは、出雲系と葛城系を奉っていたのかもしれないということかな」
 「どういうこと?」
 「さっきも話したように、三輪山はニギハヤヒなど出雲神を奉っているだろう。一方、葛城一言主神社は、文字通り葛城系だろう。ニギハヤヒとカツラギノナガスネヒコが大和王朝を建国したという話や、雄略天皇が葛城山で狩をした時に一言主神に会ったという話も残っているんだよ」
 「ふうん」
 「だから、この両者が大和王朝の始祖で、それを拝してのことではないかとも思えるんだけど、まあお父さんの単なる想像でしかないよ」
 「でも、この配置を見ると何か意味がありそうに思えるわね」
 「ということで、香具山に行くか」
 「もう日が暮れてしまいそうよ」
 「とりあえず、近くまでは行ってみよう」
 夕日が先ほどの矢印の方角に傾いていた。
 「香具山の近くには来たものの、山に上がるにはどうしたらいいんだろう」
 「地図を見ると、山の上に神社や万葉の森があるわ。だから、どこかに道があると思うんだけど」
 「じゃあ、探してみよう」
 しばらく香具山の周辺を走っていると、万葉の森という表示板が出ていた。
 「お父さん、どうもここは観光をするというより、森の中を探索する場所みたいよ。日が暮れてきたし、もう帰りましょうよ」
 「そうするか」
 二人は、飛鳥の地を後にした。



                         

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