万葉紀行
由美と行く 

14、

 いよいよ、ジョイントコンサートの当日がやってきた。
 「わあ、緊張するね」
 玲子が、横で深呼吸をしている。
 主催者の挨拶が終わり、オーケストラに続いてコーラスも入場した。
 最後に、指揮者が割れんばかりの拍手の中で迎えられ、『ベートーベン作曲交響曲第九番合唱』の演奏が始まった。
 由美は、コーラスを指導してくれた丸井さんの言葉を思い出しながら歌った。
 ―「ホール全体を響かせるような気持ちで歌う事が大切だよ」
 そして、演奏が終わると、大きな拍手と歓声の嵐だった。
 何度も指揮者や独唱者が挨拶をした後に、全員が退場して閉会した。
 「どうもお疲れ様でした。ご案内してありますように、この後八時から懇親会を予定しておりますので、ぜひお越しください」
 案内係が、みんなに伝えていた。
 「玲子、すごく良かったね」
 「本当ね。終わった時は、もう感動で涙が出そうだったわ」
 由美と玲子は、控え室で衣装を着替え懇親会の会場に向かった。
 
 次の日、由美は家に帰る用意をして駅へ向かった。
 途中、京都駅でみやげ物を買い、特急列車に乗った。
 終点倉吉駅までは、新幹線で博多駅へ行くよりも時間がかかる。
 その間、本を読んだり、レポートのチェックをした。
 倉吉駅に到着し、由美が改札口を出ると父が立っていた。
 「お帰り」
 「ただいま」
 駅から家に帰る途中、由美は、車から見える風景が懐かしかった。
 「あれから、何か分かったかい」
 運転しながら父が聞いた。
 「そうね。今、レポートを書いているんだけど、調べていたら一つ気になるところが出てきたわ」
 「じゃあ後で聞かせてもらおうかな」
 家に着くと、母と中学二年生になる妹が出迎えてくれた。
 「お姉ちゃんお帰り」
 「ただいま。明代は、もう来年は受験生だね。勉強はしっかりと頑張ってる?」
 「まあ何とかね」
 「そうだといいんだけどなあ」
 父が横で不安そうにしている。
 「今日は、由美のためにごちそうを作るからね」
 母と妹が台所へ入った。
 「由美、さっき言っていた気になる事ってどんなこと?」
 「万葉集の第三首なんだけどね」
 父と由美は事務室に入り、資料を出してソファーに腰掛けた。
 「この間、万葉集の第一首と第二首について調べてきたでしょう」
 「そうだね」
 「それで他もちょっと調べてみようと思って万葉集を見直したら、第三首で気になるところがあったのよ」
 「どこが?」
 由美は、その資料を開いた。
 「ほら、ここなんだけどね。題詞に、宇智の野で狩をした時とあるでしょう」
 「あるね」
 「ところが、原文では内野になってるの。その歌に続いて反歌があるんだけど、そこには『宇智の大野で馬を並べて』とあるの。つまり、内野や大野が歌われている場所だということでしょう」
 「そうだろうね。この歌は、お父さんもチェックをしたよ」
 そう言いながら、父は、箱に片付けていた地図を引っ張り出した。
 「やっぱり、お父さんも調べたのね」
 「ああ。大宰府の近くに大野城があり、少し離れているけど内野もあるので驚いたよ」
 「そうよね。きっと、この内野や大野を指していると思うんだけど、どうなのかしら」
 「お父さんもそう思うよ。そうなると、ますます万葉集は、北九州を詠っていることになるわけだよ」
 二人は、しばらく地図を見ていた。
 「そう言えば、奈良に行った時に三輪山の近くに出雲という地名があると言っていたでしょう」
 「言ったよ。それがどうかしたのかい」
 「レポートをまとめている時に地図を見たのよ」
 「あっただろう」
 「ところが、その隣に黒崎という地名があったので驚いてしまったわ」
 「ええっ、出雲の隣に黒崎だって!」
 「お父さんも気が付いてなかったんだ。朝倉と出雲との間にあったの」
 「地図だよ、地図」
 父は、あの張り合わせた大きい地図を出してきて広げた。
 「あっ、本当だ。以前、このあたりは何度か見ているよ。その頃、大牟田の黒崎の事はまだ知らなかったからなあ」
 「驚くよね」
 「ああ、そう言えば思い出したよ。こんな山の中に黒崎とは変だなあと思ったことがあった。そうだ、すっかり忘れていたよ」
 「やはり、大牟田の黒崎と関係があるのかしら」
 「きっとあると思うよ。海岸沿いでもない所に崎という字は使わないだろう。あの出雲の神が奉られている三輪山の南側に、奥から順に出雲、黒崎、朝倉と並んでいるんだよ」
 「古代の地名としては、重要な場所ね」
 「奈良大和王朝にとって、最も関わりのある地名として付けられたのかもしれないよ」
 その時、ドアが開いて明代が入ってきた。
 「お父さん、お母さんがお魚を刺身にして欲しいって」
 「そういえば、良いハマチを買ってきたと言ってたなあ。じゃあ由美、ちょっと待っていてくれるかな」
 父は、明代といっしょに台所へ行った。
 お客がある時や、母が出かけている時などは父も料理を作る。
 由美は、久しぶりに我が家で食事をした。
 「ところで、第九はどうだったの?」
 母もコーラスをしているので、ジョイントコンサートの様子を由美に聞いた。
 「すごく良かったよ」
 しばらくは、その時の話で盛り上がった。
 夕食後、由美は、また先ほどの事務室で万葉集の資料を見ていた。
 『たとえ写本であったとしても、千数百年も前の歌が今にまで残っているなんて、まるで金印みたい』
 由美が父の資料を見ていたら、父も部屋に入ってきた。
 「万葉集と古代史にはまだまだ謎が一杯だよ。終わりのないミステリー物語かな」
 「お父さん、楽しそうだね」
 父が、ソファーに座った。
 「由美と行った古代史探索の旅行も良かったよ」
 「私、実際そこの場所にまで行って歴史を調べるなんて初めてだったわ」
 「お父さんもだよ」
 「すごく勉強になったね」
 「さっきの続きだけど、この前、面白いことが浮かんできたんだよ」
 「これまで調べてきたことが一つに繋がったという話のことね」
 「その時は感動したよ。六六三年、白村江の戦いの後に、倭国は新しくできた日本国に吸収されたんじゃないかと話しただろう」
 「そうだったね」
 「そして、誕生したばかりの日本国が、紀元前六六〇年に建国したと日本書紀に記された。ここに、古代史の謎を解く鍵があるように思えるんだよ」
 「どういうこと?」
 「これを見てごらん」
 そう言って父は、年表を取り出した。
 中国や朝鮮半島、日本の年号が対照表になっていた。
 「西暦七〇一年は、中国では長安一年にあたり、日本では大宝一年、そして日本書紀で言うところの建国からは一三六一年と、ここで『一』が並ぶんだよ。そして、この大宝一年とは、大宝律令が完成した年なんだよ」
 「新羅は、翌年だけど、聖徳王の一年ね」
 「年号の大宝と言い、どうもこの年が日本国が成立した年だと思えるんだよ。翌年、遣唐使が唐に行っているしね」
 「スタートラインを合わせたみたい」 
 「そう見えるだろう。それと、北九州と近畿に同じ地名が多いのは、歴史や地名が日本国に取り込まれたからではないだろうか」
 「建物も地名も移されたということ?」
 由美は、古代史の謎が少しずつ解けていくように思えた。
 「そして、正倉院に何故あんなに宝物が残されているのかという疑問も、大陸との交易で手に入れた倭国の宝物がその時に移されたとすれば納得がいくよ」
 「でも、あれは聖武天皇の遺品だったんでしょう」
 「そこから正倉院が始まっているんだけどね。奈良国立博物館で聞いた説明を思い出したんだよ。代々受け継いでいたと言っていただろう」
 「そうだったわね。すると、聖武天皇は、倭国から受け継いでいたということ?」
 「おそらく、そうじゃないかと思うよ。きっと、聖武天皇は、倭国の王朝の後継者だったんだよ」
 「ええっ、そうなの」
 「だが、次の後継者が無かったか、あるいは抹殺されたのか。莫大な遺産は、受け継ぐ者がいないので、聖武天皇のゆかりの東大寺に寄贈されたということじゃないかな。つまり、聖武天皇は倭国のラストエンペラーではないかという所に行きついたんだよ」
 「ふうん。なかなか面白いわね」
 「お父さんも専門家じゃないから、あくまで素人が古代史に思いを寄せるロマンとしての話だけどね」
 「ロマンだよね」
 「ところが、そう考えると万葉集についての謎も解けてくるんだよ」
 「万葉集の?」
 「そう。万葉集は、個人集ではないかというのもヒントになったよ」
 「でも、本当に個人集なの? たくさんの歌人や登場人物がいるじゃない。山上憶良、大伴家持、柿本人麻呂、山辺赤人、高市黒人など数え切れない人達が詠っているよ」
 「物語を作るときには、いろいろな人物が登場するだろう。どんな物語でもそうじゃないか」
 「物語ならね」
 「万葉集は、倭国を舞台にした壮大な歌物語だと思うんだよ。あるいは、その作者の思いや人生を書き記した遺書と言えるかもしれない」
 「遺書?」
 「人は誰しも生きた証を残そうとするだろう。歌だけでなく、建築物や絵、墓などいろいろな形でね。そして、歴代の王の歌も受け継いで、自分の歌と合わせてその作者は万葉集を作成した」
 「ええっ、すると、その作者が聖武天皇だというの?」
 「きっとね。聖武天皇は、滅ぼされた倭国の歴史や風景、そして自らの体験を『万葉集』という歌物語にして残したんじゃないだろうか」
 「ということは、多くの人が詠んだように書かれているけど、実は、脚本が聖武天皇で出演者が大勢いたということかしら」
 「その出演者には、実在した人もいれば、架空の人もいただろうなあ」
 「それを本当に創り上げた人だとしたら、聖武天皇は大変な才能の持ち主だよね」
 「万葉の時代の天才かも」
 その時、ドアが開いて明代が入ってきた。
 「お姉ちゃん、お風呂に入るようにってお母さんが言ってるよ」
 「はあい。じゃあ、お父さんまたね」
 由美が部屋を出ていった後も、父は引き続き資料に目を通していた。
 『百済に兵を送った白村江の戦いの後、倭国は滅ぼされた。では、倭国と百済とはどんな関係にあったんだろう』
 父は、百済について調べてみた。
 インターネットで『百済』を検索すると、たくさんのサイトが出てきた。
 まず、基本的なところから見ようと思い、分かりやすそうなサイトをクリックした。
 そこでは、呼び名からの検討が加えられていた。
 『これなら分かりやすそうだ』
 百済を『クダラ』と読んでいるが、韓国では『ペクチェ』と読む。
 『これは聞いたことがある』
 父は、面白そうなので続けて読んだ。
 『クダラのラは、国を意味している?』
 それは、今も使っている『〜等、村』のラに残っていて、ラは、集まりを意味すると述べられていた。
 父は、次第に引き込まれていった。
 狗奴国は、『クナラ』と呼ばれていて、それが『クダラ』に繋がったとしていた。
 『狗奴国(クナラ)は、旧奴国とは考えられないだろうか。もし、そうだとしたら、奴国と百済は元は同族だったかもしれない』
 そこまで、思いをめぐらしていた父であったが、ふと頭をよぎるものがあった。
 『奴国は、ならと呼ばれていた? 何だって、なら?』
 父は、由美に話そうと部屋を出て台所に行くと、妻が後片付けをしていた。
 「由美は?」
 「そこで、明代と話をしていたわよ」
 父が、居間に行くと娘二人が何やら話をしている様子だった。
 「由美、ちょっと来てくれよ」
 「どうしたの?」
 「奈良だよ。奈良」
 「奈良がどうしたの?」
 「奈良という地名の由来に行き着いたかもしれないんだ」
 父は、由美に話して感想を聞きたかった。
 「今から?」
 「すぐに終わるから、見てくれよ」
 「じゃあ、手短にね」
 由美は、父と共に事務室に入った。
 「ほら、このサイトだよ。百済について調べていたら、国の名称について書かれていたんだよ」
 由美は、パソコンの画面を見た。
 「狗奴国をクナラと呼んでいて、それが、百済に繋がったというのね」
 「字は中国側による当て字だから、狗は、旧と考えられないだろうか。旧も『く』と読むだろう。百済は、旧奴国つまり、元は奴国と関わりがあったのかもしれないんだよ」
 「百済と奴国がねえ」
 「その奴国が『なら』と呼ばれていたというんだよ」
 「奴国は、博多湾のあたりにあったよね」
 「博多湾から大宰府にかけてだよ。つまり倭国の中心にあったというか、首長国だったんだろう。そして、新しくできた日本国の都の平城京は、『ならのみやこ』と呼ばれていたんだよ」
 「本当に?」
 「平を、『なる』とよむ地名もあるだろう。じゃあ、これを見てごらん」
 父は、万葉集の検索サイトを呼び出した。
 そして、原文で『平城京』を検索すると五首程並んでいた。
 「読みが全部『ならのみやこ』になっているわ」
 「な、そうだろう」
 「ということは、奴国、平城京、奈良。つまり、奈良の起源は、奴国にあったということなのかしら」
 「そう思えるんだよ。倭国の中心に『なら』があり、新日本国の都も『なら』だった。つまり、聖武天皇は、倭国の中でも奴国の王の子孫だったんだよ。それで、日本国の都も『なら』と名付けられたのではないだろうか」
 「じゃあ聖武天皇は、日本国の建設のかなり中心にいたということなのかしら」
 「きっと、そうだろう。そして、博多湾から大宰府にかけて築かれていた都を、平城京として再建しようとしていたとは考えられないだろうか」
 「それって、遷都じゃないの」
 「遷都だって? そう言われると、確かに遷都とも考えられるよなあ」
 父は、このことが神武東征という話に反映しているかもしれないと思った。
 「遷都して、新しい日本国の国造りを始めたのよ」
 「なるほど、その頃全国には、国分寺や国分尼寺が建てられ、その総本山として、東大寺や大仏も建立されているよ」
 「聖武天皇は、平城京を中心とした新日本国の建設の中に、奴国の再建も描いていたのかしら」
 「そうかもしれないね。あるいは、白村江の敗北から、この列島がいくつもの国に分かれていたのではだめだということになり、一つの国にしようと統一が進められたとも考えられるよ」
 「合併したということ?」
 「どちらかと言えば、遷都というより吸収合併だったかもね。ただ、それが誰の手でというか、どういう勢力で進められたのかという疑問は残るけどね」
 二人は、パソコンから離れ、ソファーに腰掛けた。
 「でも、その平城京も、長くは続いていないわね。聖武天皇が亡くなって、二、三十年で桓武天皇の時代となり、長岡京や平安京に移っているわ」
 「倭国の流れはそこで途絶え、藤原氏を中心とした勢力に権力が奪われたということかな。つまり、王朝が変わったということかもしれない。その後、藤原氏の時代が約四百年も続くことになるんだ」
 「つまり、日本国が誕生した頃は、奈良が都だったのよね。だとすると、聖武天皇は奈良に移ってからも歌を詠んでいたのかしら」
 「きっと詠み続けているよ」
 「じゃあ、万葉集は、北九州だけでなく奈良も舞台になっているんじゃないかしら?」
 「聖武天皇は、新日本国の建設にも関わって各地へ赴いていたとも考えられるから、その時の歌や、奈良の地を詠った歌もあるだろうなあ」
 「北九州の地名が移った先で歌を詠めば、それがどっちを意味するのか分からなくなってしまうわね」
 「どちらにしても、万葉集には、古き良き倭国の姿や、聖武天皇のいろんな思いが詠われているんじゃないだろうか」
 「そうかもしれないね。それと聖武天皇が、奴国の王朝の子孫だとしたら、志賀島を詠う歌が多いのも分かるわね」
 「金印をもらった漢委奴国王が祖先であれば、志賀島に埋葬されているんだからね」
 「万葉集には、まだ見てない歌がたくさんあるんだけど、そこにはどんな歌があるんだろう。また大学の図書館に通うかな」
 「きっと、新しい発見があると思うよ。年が明けたらお父さんもまた引き続き読もうと思っているんだ」
 「じゃあ、私はそろそろ寝るね」
 「おやすみ」
  父も、資料を片付けパソコンの電源を切った。



                            

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