10、
「今日もいい天気だね。お父さん、昨夜は良く眠れた?」
「ぐっすりとね」
「そう、良かったね。私は、金印に感激したせいか中々寝つかれなかったわ」
由美は、まだ少し眠そうだった。
めざす高山までは一本道で、南側には筑紫平野が広がっていた。
「お父さん、朝倉町に入ったわ」
「そうか、じゃあ高山のある杷木町はその隣だからもうすぐだよ」
しばらく走っていると表示板に古毛という地名があった。
「ほら、あの時話した古毛だよ」
「万葉集冒頭第一首が、はたしてこの地を詠んだのかどうかだよね」
「そうだよなあ」
そして、しばらく走っていると小高い山が突き出しているのが見えてきた。
「お父さん、あれかなあ」
「きっとそうだろう」
近くに行くと、その山の上にあるホテルを知らせる看板があった。
「ここを左折して行けばいいのかな」
父は、その看板が指し示す道に入った。
坂道を上がっていくと、途中見晴らしのいい場所があった。
「ほら、周りが良く見えるよ」
「そうね。いい眺めね」
そして頂上まで上がると、そこには三十メートル近い観音像が聳え立っていた。
「大きな観音様ね」
二人は、しばらく見上げていた。
その周辺には、土産物屋が十軒ほど並んでいた。
「おはよう」
「今日もいい天気だねえ」
そこの人たちが、これから店を開けるところで、挨拶を交わしながら周囲の掃除をしていた。
父は、昔、高山が天の香具山と言われていたと、はたして思われているのかどうかを聞くことにした。
「由美、この店で朝のコーヒーを飲んでいこうか」
「それいいね」
その店には、若い奥さんがいた。
「いらっしゃいませ」
「おはようございます。コーヒーを二つお願いします」
「ありがとうございます」
待っている間、外から聞こえてくる婦人達の会話からは、仕事始めののどかな雰囲気が伺えた。
やがてやってきたコーヒーを飲みながら、ゆっくりと朝のひと時を過ごした。
しばらくして、父は、コーヒーを先に飲み終えて立ち上がった。
「ちょっと、そのあたりを見て来るよ。由美はまだゆっくりしているといいよ」
「分かったわ」
父は、支払いをしながら尋ねてみた。
「ごちそう様でした。ところで、ここは『たかやま』と言うんでしょうか」
「いえ『こうやま』と言います。地名は高い方の高山ですが、この山頂に香山観音があるので、山の上では香りの方の香山を使っています」
「そうですか。ところで、この高山が昔は香具山と呼ばれていた、といった話を聞かれたことはありませんか」
「さあ、分かりません。主人が、そういった歴史に詳しいんですけど、生憎今は出ているもので」
「そうですか。どうもありがとうございました」
特にそういう話が、定着していることはなさそうだった。
次の店に行くと、先ほど話し声を耳にした女性だった。
少し年配なので、何か知らないだろうかと思っていると、その女性の方から声をかけてきた。
「お茶はいかがですか」
「ありがとうございます」
「どちらから来られましたか」
「鳥取の方からです。博多や大宰府をまわって今日はこちらに来ました」
「それはそれは、遠方から。お一人で」
「娘と二人で来ました」
「娘さんとねえ。それはいいですねえ」
しばらく話をしていたが、父は、みやげ物を買うことにした。
『みやげ物といえば、やっぱり、せんべいかな』
父は、並んでいる中の一袋を手にしてその婦人の所に行った。
「こちらを」
「ありがとうございます」
そして、先程と同じように尋ねてみた。
「高山が昔は香具山だった? 聞いたことないですねえ」
「そうですか。ごちそうさまでした」
どうも、そういう話が語られることはないのかもしれない。
その店を出ると由美がやってきた。
「お父さん、そこに、眺めの良さそうな所があるから行ってみようよ」
店の並びに、展望台と言う程ではないが、周囲を見渡せる場所があった。
そこから、筑後川の流れや西に広がる平野が見えた。
「お父さん、やっぱり山の上は見晴らしがいいね」
「そうだね。右手に見えるあの丘のあたりに宮があったとしたら、ここは、国見をするには最適の場所だよ」
「そうね」
「でも、周囲の木や建物がちょっと邪魔しているかな」
その時、父に、ふとある考えが浮かんだ。
「そうだ。この山の先にホテルがあっただろう」
「あったね」
「あの上からの景色は、きっとすばらしいと思うんだよ」
「一番見晴らしのいい場所に建っているものね」
「この場所もいいけど、あのホテルの上だと三百六十度見渡せるよ」
「でもホテルの屋上よ。勝手に上がる訳にはいかないわよ」
「頼んでみるんだよ」
「そんなの無理よ」
「だめかなあ」
「宿泊客でもない者に、許可なんかしてくれないわよ」
由美の言うことも、もっともであった。
だが、この高山で一番見晴らしがいいのは、あのホテルの屋上に思えた。
「断られたら仕方ないけど、とにかく頼んでみようよ。最初からあきらめていたら、何事も成功しないよ」
「ええっ、本当に行くの?」
「当たって砕けろだよ。だめでも、別に何も損はしないよ」
そのホテルへ行くと、父は、カメラを手にして玄関へ向かった。
ドアが開いて中に入ると、そこには若い女性従業員が立っていた。
ちょうど、宿泊客を送り出したところのようだ。
「あのう、すみません。このあたりの眺めはとっても良いですよね。屋上から周辺の写真を撮らせてもらえませんか」
父は、手にしたカメラを目立つようにして取材っぽく頼んでみた。
「あ、カメラマンの方ですか」
「いえ、素人ですけど」
「しばらく、お待ちください」
その女性は、そう言って事務室に入った。
「お父さん、どうだろう」
「聞いてくれているようだけど、さて吉と出るか凶と出るか」
父は、祈る思いで返事を待った。
しばらくして、女性が戻ってきた。
「社長がいいと言っていますのでどうぞ」
「そうですか、ありがとうございます」
「じゃあ、こちらへ」
父は、心の中で『吉と出たよ』と喜びながらその後に続いた。
「どちらからお見えですか」
「鳥取県からです」
「そうですか。何か取材ですか」
「有明海が昔どこまで入り込んでいたのか知りたくて調べているんです」
「そうなんですか」
エレベータを降り、従業員通路から屋上に出ると、予想通りのすばらしい眺めだった。
「おお、良く見えるよ!」
そこからは、周囲の景色が一望できた。
邪魔になるものは一切無く、まるで雲の上から眺めているようだった。
「わあ、最高!」
由美も感激していた。
目の前を、筑後川が東から西へ蛇行しながら流れ、遠くに見える山々にはうっすらと雲がかかっていた。
明るい太陽が目にまぶしかった。
「すばらしいです。こんなに見晴らしのいい眺めを見たことがありません。向こうが筑紫平野ですよねえ」
「そうです。今日は少し霞んでいますが、もっと遠くまで見えることもあります」
「どうでしょうか、吉野ヶ里のあたりまで見えることはありますか」
「そこまでは見えませんねえ。久留米の市役所は見えることがあります」
はきはきとして、とても明るそうな女性だった。
父は、遠く東の方から西のかなたへと続く広大な風景を、何枚にも分けて撮影した。
また、西側朝倉町のあたりから、ホテルの北側に続く丘や山並みも撮影した。
『朝倉町の古毛。そして丘だよ』
父は、その景色を眺めながら万葉集第一首にある、乙女が岡で菜を摘むという場面が思い出された。
「こんなすばらしい景色を見せていただいて本当にありがとうございました」
「どういたしまして。夜景も、とっても綺麗なんですよ。次は、宿泊して夜景を撮りに来てくださいね」
営業も忘れず、中々しっかりしている。
「そうですね。ぜひまた」
最後に由美とその女性の記念撮影をした。
そして、二人は、その女性にお礼を言ってホテルを後にした。
「やったあ。最高の場所で景色を見ることが出来たよ。やっぱり言ってみるものだよ」
「そうだったね」
「想像以上に、すばらしい景色だったよ」
「周囲がぐるりと見渡せるんだもの、自然のパノラマだよね」
「あれ以上の国見の場所はないだろうね」
「じゃあ、いよいよ海が問題になってくるよね」
「そうだよ。後でまた資料を良く調べてみよう。さて、残すは吉野ヶ里だけだよ。どうしよう、少し時間が早いかなあ。もう一か所どこか行けそうだよ」
由美が、横で九州の地図を広げた。
「そうねえ。どこに行こうかなあ。長崎なんかは遠過ぎるし。そうだ、あの本にあった大牟田くらいならちょうどいいわよ」
「大牟田ねえ。そうしようか。じゃあ、歴史博物館がきっとあるだろうから、この前作った地図で探してくれよ」
「ああ、あの大きな地図ね」
由美は、後ろから地図を引っ張り出して、大牟田のあたりを探した。
「あったわ。やっぱりこの地図は便利ね」
「全体も細かい所も良く分かるから役に立つだろう」
車は、大分自動車道を西に向かっていた。
「この先、九州自動車道を南に走って、南関インターで降りればいいわ。一時間もあれば着くんじゃないかしら」
二人は途中で昼食を済ませ、大牟田市歴史博物館へ向かった。
そこは、そんなに大きな建物ではなかったが、中には数多くの展示物が並んでいた。
いろいろな大きさの石棺が、所狭しといくつも置かれていた。
「ねえ、石棺ってお墓でしょう。たくさん並んでいるわね」
「結構小さい物もあるよ。子供用かな」
二人が話していると、その博物館の職員と思われる男性が説明してくれた。
「たくさんあるでしょう。そのうちの一基が、来年大宰府にオープンする国立博物館に展示される予定になっています」
「そうですか。本当に驚きました。他にもたくさんの物が発掘されていますね」
「このあたりは、古墳が多いんですよ」
「そうだ、大牟田に天の香具山と言われていた山があると聞いたのですが分かりませんでしょうか」
父は、昨日の本のことを聞いてみた。
「香具山ねえ、聞いたことないですねえ」
「そうですか。それと、弥生時代の頃の海岸線が分かるような資料はありませんか」
「それなら、ありますよ」
その職員は、入り口のカウンターに置いてあったパンフレットを父に見せた。
「ここにあります」
父がそれを見ると、縄文時代や弥生時代の大牟田周辺の海岸線が描かれていた。
今よりも、かなり山側に海岸線が入り込んでいた。
「弥生時代は、今の平野の大部分は海だったようです」
「島もたくさんあったんですね」
そして、その後には古墳の分布図なども出ていた。
「だから、島の周辺には古墳が密集しています」
「本当に、多いですねえ」
「最近になって、この黒崎というところでも古墳が発見されました。あまりに大き過ぎて今まで分からなかったんです」
岬のように突き出た所にいくつもの古墳の印があった。
その先端に黒崎と書いてあった。
『岬の先端に大きな古墳?』
父は、その時、志賀島の中津宮古墳のことが頭をよぎった。
「あのう、その古墳のある場所は見晴らしがいいですか」
「それは、とってもいいですよ。昔から有明海随一の景勝地として有名な場所です。その山頂そのものが古墳だったので分かりにくかったんですよ」
「発掘調査とかはされたのでしょうか」
「いえ、古墳の発掘となると、県や国が関わらないと市のレベルでは難しいです。我々も早く調査されることを願っています」
「そこには、入れますか」
「はい、公園になっているので誰でも入れます」
「そうですか、ありがとうございました」
父は、そのパンフレットを購入すると、ただちに黒崎に向かった。
「お父さん、何だかちょっと気になるね」
「ちょっとどころか、ものすごく気になるよ。あまりに条件がそろい過ぎているよ」
黒崎に近づくと、岬のように突き出た山が見えてきた。
「先ほどの資料では、弥生時代、このあたりは海だったようだ」
「そうみたいね」
「有明海に突き出た岬の、一番いい場所に巨大古墳だよ。当時の最高権力者の墓だと想像がつくよなあ」
「志賀島の中津宮古墳みたいね」
車は、黒崎山の上にやってきた。
駐車場があり、その側に展望台があった。
階段を上がると、いきなり有明海が眼下に広がった。
「うわあ、なんて見晴らしがいいんだ」
「有明海がとっても綺麗!」
「これは、驚いたよ」
思いがけない眺めに、二人は呆然としてしまった。
「昔は、そのすぐ下まで海がきていたと書いてあるわ」
「有明海随一の景勝地と言うだけあるよ」
父が周辺の写真を撮っていた。
二人は、しばらくの間、その景色に見とれていた。
「ところで、古墳はどこにあるのかしら」
「さて、どこなんだろう」
その時、近くのトイレを清掃している音がするので、父が古墳の場所を聞きに行った。
「どうだって?」
「分からないそうだ。市の職員のように思えたんだがなあ。仕方が無いから探そうか」
二人は、周辺をきょろきょろと眺めた。
「これ、古墳じゃないかなあ。このあたりが前方部でそこが円墳に見えないか」
「このなだらかな斜面は古墳みたいよね」
「どうも古墳に見えるよ。となると、古墳の上にトイレだよ」
「ちょっと、大丈夫かしら」
「でも、古墳に見えるよなあ」
「足の下は古墳だよって教えてあげた方がいいんじゃないの」
「そうだねえ、驚くかもな」
二人は、笑いながらまた探し始めた。
「大きい古墳だと言っていたから、すぐに分かるはずなんだけどなあ」
「歩いていればきっと見つかるわよ」
そう言いながら探していると看板が立っていた。
「ほら、大きな字で書いてあるじゃない」
そこには、黒崎観世音塚古墳とあった。
黒崎山は、かつては山裾まで海が迫る岬で、筑後一の名勝とも言われていた。
この古墳が発見されたのは十年前で、全長百メートルにおよぶとあった。
「斜面には結晶片岩が葺いてあって、遠くからも輝いて見えたそうだよ」
「大きさも、有明海周辺で最大とあるわ」
「相当立派な墓だったようだ。ああっ、なんてことだ。盗掘の跡があるのか。未盗掘だと、すごい物が出てきたかもしれないのに」
「残念ね」
「ここにも書いてあるけど、きっとこの周辺で一番の王の墓だよ」
「王の中の王ということかな」
「志賀島が奴国の王ならここもそれに匹敵するだろうね。あるいは、それ以上かもしれないよ。さあ、上がってみようか」
二人が、林の中を歩いていくと、一番上に祠があった。
「この山そのものが古墳だよ」
「大きいわね」
「なるほど、これは分かりにくいかな」
「でも、一番上に観音堂があったり、周囲には小さい石仏が並んでいるし、古くから、このお墓が奉られていたようにも思えるわ」
「じゃあ、一部の人たちには知られていたのかもしれないなあ」
二人は、来た道の反対側から降りた。
そして、古墳の周囲をぐるりと回って駐車場に戻った。
「これは、すごい物に出会ったよ」
「誰のお墓だろうね」
「奴国の王をはるかにしのぐ墓。周辺一帯にも数多くの古墳があるから、それに相当する王朝が存在していたんだろう」
「奴国以上のねえ」
「周辺には、ヤマトの地名がいくつも残っている」
「そうね。大和町、山門郡、山門などたくさんあるわね。ということは?」
「ヤマトの国。いわゆる邪馬台国かもしれないね」
「じゃあ、その一番の王の墓となると、ええっ、じゃあ卑弥呼?」
「さあ、どうだろう。その可能性はあるよねえ。どちらにしても、邪馬台国の最高権力者の墓だとは思えるよ」
「はたして、どうかしら」
「もし、盗掘されていなければ、親魏倭王の金印が出たかもしれないよ」
「そんなことになったら、列島騒然の大騒ぎになるわよ」
「だろうね」
感動がまだ治まらない二人であった。
「もう一度、眺めておくか」
二人は、また先ほどの展望台に上がった。
「これは、まさに海原だよなあ」
「そうよね」
しばらく眺めた後、最後の目的地である吉野ヶ里に向かった。
「大牟田に思わぬ遺跡があったわね」
「本当に衝撃的だったよ。今後、大牟田は要チェックだな。特にあの黒崎観世音塚古墳には目が離せない。今後の調査が気になるところだよ」
「どんな副葬品が出てくるかしらね」
「殆どは盗掘の時に取り出されているだろうな。調査がいつあるのか分からないけど、密かに期待していよう」
長崎自動車道を経て吉野ヶ里についた頃には、もう日が傾いていた。
「あまりゆっくりはできないかな」
夕暮れ時の吉野ヶ里の中を歩いた。
「入り口に、あんな大きな施設が建っているとは思わなかったわ」
「それだけ観光客が多いということなんだろうね」
「人が集まる所には、みやげ物の販売コーナーとレストランは必ずできるよね」
しばらく歩いていると、弥生時代を復元した集落が見えてきた。
その近くには、工事中の物見櫓が高く聳えている。
「妻木晩田遺跡の近くに角田遺跡があるんだよ。今そこに見えている物見櫓は、その角田遺跡から出土した土器に描かれていた絵を元にして復元されたそうだよ」
「あの米子市の手前にある遺跡?」
「そう、妻木晩田遺跡の規模は吉野ヶ里をしのぐというからすごいよ。まるで小さいながらも国を形成しているような作りだよ」
「山陰にも遺跡が多いよね」
「東郷湖の側にある馬の山古墳は、北方騎馬民族がたどり着いた場所とも言われているし、貴重な遺跡があちこちにあるよ」
「遺跡は、大切に保存されないといけないわね。妻木晩田遺跡もゴルフ場開発で見つかっているから、保存に至るまでは大変だったようね」
「多くの人の努力による賜物だよ」
二人は、当時の住居や倉庫にしていたという建物の前にきた。
「こういった高床式の建て方は、南方の民族に由来していて、それが正倉院にも生かされたらしいよ」
「へえ、そうなの」
いろいろな建物を見ているうちに、周辺にいた見物客もまばらになってきた。
「さあ、そろそろ帰ろうか」
広大な吉野ヶ里に夕暮れが近づいていた。
|