私はこうして『邪馬台国』に到達した!
高山より

(6) 現地調査(北九州編Ⅱ) 

1)香山にて  
 晩秋の朝、香山に上がると、そこには30メートル近い巨大な観音像が建っていました。その山は、高山とされていますが、山頂に香山観音があることから香山と書かれることもあるようです。
 その山頂は、観光地となっていて、土産物屋も立ち並んでいました。
 そこのお店の方に、この香山が、『天の香具山』だというようなことを聞かれたことはありませんかと聞いてみましたが、耳にしたことはないと言われていました。
 その地元では、特に『天の香具山』だというようなことが話されることはないようです。
 そして、その周辺で映像を撮りましたが、少し離れた一番見晴らしの良い場所に、ホテルが建っていました。
 断られて元々だと、そのホテルの屋上からの撮影をお願いした所、許可を得ることができました。
 それは、それは、見事なほどに見晴らしが良く、筑後川流域一帯を見渡すことができました。
 天気の良い日は、遠く久留米市のあたりまで見えるそうです。
 上の映像は、その屋上から撮った何枚かの映像をパノラマ化したものです。
 では、この見晴らしの良い香山は、はたして『天の香具山』だったのかどうかということですが、確かに見晴らしの良い場所で、奈良大和の香久山よりもその可能性は高いとも思えました。
 しかし、やはり、第2首は広大な海原を見ながら詠われているのですが、香山からそのような海原が見えたとは思えません。
 旧くは、今の筑後川河口からかなり奥まで海だったとは考えられますが、内陸部の香山あたりにまで海が迫っていたということは、その歴史を調べてみてもあり得ないことのようです。
 そして、都がその近くにあったというほどの遺跡も残されていません。
 とても見晴らしの良い場所ではありましたが、残念ながら万葉集で詠われた『天の香具山』ではなかったようです。
 


2)大牟田市黒埼にて 
 期待をして北九州にやって来ましたが、香山は『天の香具山』ではありませんでした。
 福岡市の図書館で、いろいろ調べていた時に、地元の研究者で、大牟田市に古代の大きな拠点があったと主張されている方の本がありました。
 その近くには、今も山都郡があり、そこが邪馬台国で、大牟田に『天の香具山』があったとその方は言われています。
 大牟田には古墳が密集しており、何よりも、そこは、有明海に面していて、海原があります。
 そして、その周辺では石炭を燃やしていた火や煙も出ていたとも言われています。
 もしやと思い、そこへも寄ってみることにしました。
 そのあたりは、有明海を眼下にして見晴らしも良く、特に黒崎は海に突き出す岬になっていて、そこには有明海周辺で最大の古墳、黒崎観世音塚古墳もあります。
 周辺には、歴史的拠点もあり、万葉集第2首の必要条件をかなり満たしております。
 『やまと』があり、山もたくさんあります。
 海・煙など、確かに、この地で詠まれた可能性は、相当高いように思えました。
 ただ、『あきづ島』、トンボのような島が見当たりません。
 その方の書籍の中にも、『あきづ島』は、どこにも出てきません。
 どこか、それに相当するような島はないかと調べてみましたが、どうも無いようです。
 今までで、第2首の詠われた可能性の最も高い場所に思えましたが、どうももう一つ決め手に欠けています。
 今回の、北九州の調査でも、万葉集第2首の詠われたと考えられる場所には行き着くことができませんでした。
 何と言っても、大王が居て、都だった場所ですから、相当な拠点だと考えられますが、簡単に見つかりそうもありません。
 私の、『都』探しの旅は、まだまだ続きそうです。




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(2004,11,24 10:08  香山山頂・『ビューホテル平成』屋上から見た筑後川流域)