(15)『天の香具山』発見!
1)出雲大社の境内から発掘された巨大柱の意味
いよいよ最後に残されたキーワード『天の香具山』ですが、出雲に都『やまと』があったとしても、いったい、ではどの山がそれに相当するのかということになりますと、皆目検討もつきません。そして、いろいろ考えていましたら、出雲大社の境内で巨大神殿の柱が発掘されていたことに思い当たりました。以前、たまたま、出雲に行く用事があり、その折に出雲大社に立ち寄りました。その時、ちょうど柱が発掘されていて、その現場を見ることが出来ました。直径が1メートル以上もある巨大な木を3本組み合わせたもので、それが9箇所に位置していたと考えられています。そして、その柱によってどんな建築物がそこに建っていたのかということも研究されていました。そこには、32丈、およそ100メートルはあったかというほどの巨大な神殿が建てられていたのではないかとも言われています。
では、いったい、その巨大神殿は何のために建てられていたのでしょう。
そこで、ようやく見えてきました。出雲に都があったということになりますと、そこには大王が存在していたことになります。つまり、その巨大神殿こそ、この列島の大王が君臨していた場所ではないかと考えたのです。
それだと、そこまでの超高層の神殿の意味も理解できます。そして、その大王が国見をするとなりますと、その神殿の付近の山ではないかと思われます。
ある程度の目安ができましたから、いよいよ出雲へ出発しました。
06年2月22日、まずは、出雲大社の地に向かいました。
2)山の上に鳥居が
まずは出雲大社が発行している冊子を購入し、駐車場前の蕎麦屋で昼食を済ませると、古事記にも登場する稲佐の浜へ向かうことにしました。その蕎麦屋の方が、稲佐の浜の手前を右に入ると、毎年、神在り祭の時に全国の神々の集まる神社があると教えていただいたので、そこにも立ち寄ることにしました。そして、歩いていると、左手に『出雲の阿国』の墓がありました。もう少し、歩いていますと、ふと右手の山に鳥居が見えました。通常、鳥居は、参道があり神社の前に建っているのですが、どうして山の上に鳥居があるのだろうかと不思議に思いました。しかし、その時は、稲佐の浜を目指していたので、その鳥居にまで関わることはできませんでした。
稲佐の浜の手前を右手に入ると、そこには『仮の宮(上の宮)』がありました。神在り祭で全国から神々が集合するのですから、かなり大きな建物ではないかとイメージしていましたから、こじんまりとした民家といった佇まいに少々驚きました。でも、どうして出雲大社の本殿が集合場所ではないのでしょう。そして、稲佐の浜に出て、ここが古事記に登場する国譲りの場所なんだと、しばらく眺めていました。
3)『天の香具山』が見えた!
その日は、荒神谷遺跡にも立ち寄り、358本の銅剣の発掘された場所も見て、帰宅しました。
出雲大社の地に立って眺めますと、万葉集第2首にあったように、山がたくさん連なっていますから、確かに数多くある山の中から選んだのだろうということは分かりました。では、その中のどの山だろうと考えますと、大社より右手は数百メートルといった山々ですから、大王が簡単に登って国見ができるとは思えません。また、海原を見ていますから、海に近い方ではないかと思われます。つまり、大社に向かって左手になります。そちらの方には低い山がありました。大社のすぐ左手の山は、大社からは近いですが、海岸までにもう一つ山がありますから、海を見渡せるかどうかということになりますとちょっと見えにくいかもしれません。そうなりますと、一番海に近い山だろうというところに行き着きました。
出雲大社で購入した冊子に載っている古絵図を見ると、そこにも一番海に近い山が描かれています。では、地図にも載っているだろうかと調べてみますと、そこには『奉納山』とありました。そして、その地図には、奉納山の頂上に神社の印である鳥居が描かれていました。
「あっ、そうだ。あの鳥居の見えた山だ!」
あの時見えた山の頂上には、やはり、鳥居だけでなく神社もあったのです。その奉納山は、頂上だけでなく下にも、先ほどの仮の宮を含めて神社が3つ地図には描かれています。何と、奉納山は、4つの神社で囲まれています。つまり、それほど重要な山として奉られてきているということです。
きっと、この山こそが『天の香具山』ではないかと思い至りました。高さは、70メートルほどですから、大王が登るには手ごろと言えば手ごろです。登れない高さではありませんし、海に近いですから、海原も見えるでしょう。ほぼ間違いないという確証を得ました。あとは、実際行って確認するだけです。いよいよ、万葉集に詠われた『天の香具山』に登ることができそうです。あの第2首を詠い残した大王の視点に立つことが出来るのです。
いったい、そこからはどんな景色が見えるのでしょう。
早く、また出雲へ行きたくてたまりませんでした。
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