(1) 万葉集との出会い
偶然手にする
2004年2月25日、私、西山恒之は、京都へ行く機会があり、
金閣寺や竜安寺、仁和寺などを拝観することができました。そし
て、歩き疲れて、京都駅のステーションビルの中の書店に立ち
寄り、時間つぶしにと書棚を眺めながら、いくつかの本に目を通
していました。
そして、万葉集の歌を紹介している『万葉集 名画の風景』(学
習研究社、03年4月3日発行)という本を手にしました。
これが、私が古代史に関わるきっかけとなりました。
大学時代は、経済学部でしたし、卒業後も特に歴史と関わりの
あるような仕事には就いていませんでしたから、古代史は全くの
素人です。ただ、大学時代に万葉集の本を買ったりはすることが
ありましたから、万葉集には少々興味がある方でした。と言っても、
ほんのいくつかの歌をうろ覚えしている程度で、ほとんど、古代史も万葉集も初心者レベルでした。
その本をめくりますと、綺麗な『万葉の地』奈良の写真を背景に、多くの歌が紹介されていました。ちょっとは万葉集に興味を持つ者には、心引かれるものがありました。
そうして、いくつかの歌の紹介、あるいはその解釈を読みますと、疑問や矛盾に満ちていました。通説の解釈として『解明されていない』、『分からない』、『不明だ』といった箇所が数多くありました。
確かに、万葉集の詠われた時代は、千数百年以上もの過去に遡りますから、不明な点があるのは無理もないことです。しかし、それにしても、どうしてそんなに多くの疑問や謎に満ちているのか、それがむしろ疑問というか、興味をそそられました。それまでも、数多くの推理小説やサスペンス物語などを読んできていましたから、これも一つの推理物のようにも思え、購入することにしました。
そして、帰宅してからは、その疑問を調べる日々が続きました。
2)疑問と矛盾が満載の万葉集
通説にあって『不明』とか『疑問』とされている中で、特に私が疑問に思った歌がいくつかありました。
まずは、それをご紹介いたします。
『大和には 群山あれど 取り寄ろふ 天の香具山 登りたち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国そ あきづ島 大和の国は』(巻1-02)
この歌は、時の大王が奈良にある大和三山の香具山に登り、国見をしながら詠ったとされています。ところが、奈良盆地には、海もなければ『あきづ島』、つまりトンボのような形状の島など存在しません。
そこで、通説にあっては、香具山の近くに埴安の池があり、それを『海に見立てて詠んだ』とされています。『あきづ島』は、この列島をトンボのようだと詠んだということのようです。つまり、この第2首は、空想の産物だとされています。それなら、別に山になど登る必要はありません。
いったい、この歌を詠んだ歌人は、何を見て何を思いながらこの歌を詠んだのでしょう。
『近江の海 夕波千鳥 汝(な)が鳴けば 心もしのに 古(いにしへ)思ほゆ』(巻3-266)
この歌は、柿本人麻呂が、琵琶湖にたたずんで、滅んだ近江大津宮を偲んで詠ったとされています。
近江大津宮とは、天智天皇が琵琶湖の西岸に築いたものの、壬申の乱で天武天皇によって滅ぼされ炎上してしまったとあります。
では、それほどまでにその大津宮を思い偲ぶということは、柿本人麻呂は、その大津宮や天智天皇を始めとしてその大宮人と何らかの関係があったと思われます。しかし、柿本人麻呂がその大津宮でどういった地位にあったかとか、あるいはどういった関係にあったかなどほとんど分からないともありました。
では、どうして、琵琶湖のほとりで大津宮を偲んでいたということだけは確かなのでしょう。その壬申の乱の後15年ほどしてこの歌を詠ったとされています。
そこまで特定できていながら、余りにも肝心なことが不明だという方が疑問でもありました。
『天ざかる 鄙(ひな)の長路ゆ 恋ひ来れば 明石の門(と)より 大和島(やまとじま)見ゆ』(巻3-255)
この歌も柿本人麻呂が、旅の帰路にあって、明石にさしかかり、奈良の家で待つ妻のことを思いながら詠ったとされています。
明石からは、確かに紀伊半島は見えます。しかし、柿本人麻呂は、その大和、奈良の地から来ていたのですから、その地が島だという認識を持っていたとは思えません。紀伊半島に住む人が、自らが島に住んでいると考えていたなどとは私には到底理解しがたいことでした。
いったい、人麻呂はどういった思いでこの歌を詠んだのでしょう。
他にも数多くの疑問に思う歌はありましたが、どうしてそんなにも疑問だらけなのか、その方が、むしろ疑問に思えてなりませんでした。どちらにしても、私は、そもそも万葉集とは何なのかというところも含めて、しばらくは、万葉集について調べる日々が続きました。
長年、研究されてきている万葉集の多くの疑問を、一素人がにわかに挑戦したとしても、簡単に解るはずもありません。でも、私は、『古代史リアルサスペンス』とでも言いましょうか、万葉集の謎解きといった思いで、アタックすることにしました。
はたして、それらの疑問は解けるのでしょうか。
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邪馬台国発見
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