邪馬台国検証


(12) 女王国「邪馬壹国」に至る

南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。

 次に『伊都国』から南の方角に水行、つまり、海を十日、または陸を1ヶ月行くと女王国の『邪馬壹國』があるとしています。『投馬国』には陸を経ては行けませんでしたが、女王の都する『邪馬壹國』には陸を経ても行けるとあります。となりますと、それは、九州の範囲内だということになります。
 これらに沿って考えますと、まず、『伊都国』のあった甘木より北ということはあり得ません。すなわち、南九州だということになってきます。その範囲内でどこになるかと検証しますと、そうそう候補地がいくつもある訳ではありません。女王国のあった地ですから、それ相応の歴史的拠点としての痕跡が残っていることになります。
 その検証の末、到達したのは、宮崎県の西都原です。西都原台地には、巨大古墳群があり、その地に歴史的拠点があったことを物語っています。宮崎県西都市、ここに魏志倭人伝に登場する女王国であるところの『邪馬壹國』があったと考えられます。
 先に検証した博多湾から出港し、九州の西を南下し、九州南端の佐多岬を経て西都市に上陸すると、それに要するのがおよそ10日で、伊都国・甘木から陸地を行くとおよそ1ヶ月ということになります。
    
自郡至女王國萬二千餘里。

 そして、帯方郡から、女王国までの距離を1万2千余里だとしています。つまり、帯方郡があったとされるソウル周辺からおよそ600kmあたりに女王国はあったということになります。当時の測量の誤差、また、1里を50mとした誤差を考えても、帯方郡からの距離は、700km以内だと考えられます。
 それで検証しますと、西都原は、まさしく、その範囲内にあります。卑弥呼の里は、間違いなく西都原の地だったという結論に至りました。
 しかし、その地は、決して、今言われているところの「邪馬台国」ではありません。あくまで、女王国としての『邪馬壹國』です。
     

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