我が国の歴史に仕掛けられた          
                  トリック10


    出雲王朝を消せ!


 

 『大和(やまと)』、『吉野』と言えば奈良県、『近江』と言えば滋賀県だと、誰しも疑うことなくそうお考えのことだと思います。
 確かに、今はそうです。しかし、唐王朝にこの列島が征服される以前においては、そうではありませんでした。『トリック(8)』でも検証したように、『大和(やまと)』は、唐王朝に征服される以前、奈良には存在していませんでした。
 この列島の都を意味する『やまと』は、出雲の地にありました。『あきづ島』とは、今の島根半島がまだ島だった時の名称でした。そして、今の出雲大社のある地に大王が君臨していて、その近くの『天の香具山』、今の『奉納山』で大王が歌を詠い、それが万葉集の第2首として残されていました。
 ところが、出雲の地に『天の香具山』があったということになりますと、持統天皇の歌との矛盾が生じてしまいました。

春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり 天の香具山

 持統天皇が、奈良大和3山の中心にあったとされている藤原京大極殿から香具山を眺めながら詠ったとされています。
 この歌にもいくつか疑問を持っていました。まず、その大極殿があったという場所から香具山までは、1km以上も離れています。それだけ離れていますと、何が干してあるのかなどほとんど分かりません。たとえ何か白いものが干してあることが分かったとしても、それが何なのかを判別することはかなり困難です。
 大極殿からは、他にもいろいろ見えていたことでしょうが、持統天皇は、どうしてそんなに見えにくい物を歌のモチーフとしてあえて選んだのでしょう。歌には、何らかのモチーフがあり、それが読む者にも伝わってきます。しかし、この歌からは、持統天皇が何を詠もうとしたのか、私には理解しがたいところがありました。春が過ぎて夏が来るからといって、そこに何を盛り込もうとしたのでしょう。香具山に見えるかどうか分からない程度の衣らしき物がたとえ見えたとしても、それがどうだというのでしょう。
 そういった、疑問が、『天の香具山』は出雲にあったということで紐解かれていきました。
 そして、持統天皇は、吉野に30回以上も行幸しています。
 これにも大きな疑問がありました。
 奈良大和3山のあたりから、吉野の辺りまで行くとなると、当時、交通の便から考えますと、そう容易く行けるとも思えません。それに、どうして吉野にそんなにたびたび行こうとしたのか、それもよく分かりませんでした。その『吉野』が万葉集ではどのように詠われているのかを調べていきますと、『吉野』も出雲の地にあったことが判明しました。
 『近江』は、万葉集に『淡海』と詠われており、それが琵琶湖を意味するということから、琵琶湖のあたりは『近江国』と呼ばれることになりました。万葉集に詠われている『淡海』を調べていきますと、その『淡海』から鯨漁に出かけるという歌がありました。琵琶湖は確かに大きいですが、決して海にはつながっていませんし、万葉集の時代に、鯨が生息していたということはありません。それを調べていきますと、『淡海』とは、塩分の淡い海、つまり今に言われる『宍道湖』だったというところに行き着きました。
 つまり、『やまと』、『吉野』、『近江』など、今は、近畿地方を意味する地名は、実は、元は、この列島の都の地、『出雲』周辺の地名だったことが分かりました。
 出雲の地がこの列島の都だったという歴史が消される中で、それらの地名まで出雲の地から消され、近畿の地名だとされてしまったのです。
 その当時には、それが分かる人も数多くいたことでしょう。しかし、千数百年以上も経ちますと、その改竄された歴史に疑問を持つ人などほとんどいないということになってしまいました。
 同時に、唐王朝にこの列島が征服されたことも、出雲の地に都があったといった歴史も、誰も知らないというところに至ってしまいました。この列島を今なお支配し続けている、ほんの一部、唐王朝・藤原氏の末裔のみしか知らないこの列島の秘められた歴史とされてしまいました。その彼らにとっては、この列島の人々は、今なお『倭人』でしかありません。今なお、ほとんど獣並みの扱いで徹底して卑下され、収奪され続けているのです。
 今のわが国の真の姿を知るためには、1300年以上も遡らなければ理解できません。
 ですから、いまだに、この列島の人々は、その改竄され捏造された歴史で洗脳されたままでしかありません。
 私たちの住むこの列島の本当の歴史を取り戻すことは、この列島を支配し、そこに暮らす人々を奴隷のごとく支配している勢力の本性を見出すことでもあります。
     




メイン       目次      トップ       後ろ     前      


邪馬台国発見     

Copyright (C) 2009 みんなで古代史を考える会 All Rights Reserved.


9)