この列島の都であったとされる『大和(やまと)』、そこにいた大王が、近くの山に登り、国見をした折に歌を詠みました。 その歌が、万葉集の第2首として残されていました。 大和には 群山(むらやま)あれど 取り寄ろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙(けぶり)立ち立つ 海原は 鴎(かまめ)立ち立つ うまし国そ あきづ島 大和の国は このサイトの冒頭でもご紹介していますが、この歌が奈良大和にある大和3山の香具山で詠まれたとされているのです。しかし、奈良盆地にあっては、何処にも海原など見えませんし、鴎も飛んでいません。また、『あきづ島』、つまりトンボのような島など何処にも存在していません。 この第2首にまつわる疑問が、私を古代史の道へと導いたのです。 当時の都『大和』には、いくつもの山があったのですが、その中から選んで『天の香具山』に登り、国見をすると、広々と見渡せる平野には煙があちこちで立ち昇り、他方、眼前に広がる海原には鴎が飛び交っており、何てすばらしい国なんだ『大和』の国は、と愛でています。 この歌を詠んだ大王は、確かにそういった風光明媚な情景を眺めていたとしか私には思えませんでした。しかし、現在、この歌の解釈は、奈良盆地にある香具山の上で詠まれたとされています。 では、海など見えないのに、どうして海原が詠まれているのでしょう。それは、香具山の近くにあったとされる『埴安の池』を海に見立てて詠んだと解釈されています。 では、『あきづ島』、つまりトンボのような島など何処にもありませんが、どうやってそれが詠まれたのでしょう。その大王は、この列島が、そういった形状をしていると想像して詠んだそうです。地図もなければ人工衛星も無い時代にあって、この列島の形状を認識できたのでしょうか。この列島の人々が、正確な地図を手にしたのは、江戸時代、間宮林蔵以降です。 つまり、この歌は、想像によって詠われたとされているのです。それなら、別に山に登る必要などありません。 私には、むしろ潮の香りすら漂ってくるほどに写実的な歌に思えました。 本当に、奈良盆地で詠まれた歌なのでしょうか。それを確かめるために奈良大和3山へも行きましたが、この第2首は、奈良盆地などでは詠われていないということを、ただただ確信するだけでしかありませんでした。 では、奈良盆地で詠われていないということになりますと、何処で詠われたのでしょう。それは、同時に、この列島の当時の都を探すことでもありました。つまり、その都で大王が国見をしているのですから、それが奈良の地でないということになると、この列島の都は、奈良にはなかったということにならざるを得ません。 しかし、それが何処だったのかを特定できなければ、やはりこの歌は想像の産物だったということにしかなりません。 そこで、まず私は、万葉集にある『大和』について調べました。 ところが、万葉集の原文で『大和』という文字の登場する歌は1首たりともありませんでした。読み下し文、または歌の解釈では、数多くの歌に『大和』は出てきますが、歌の原文には全く登場していません。つまり、万葉集の詠まれた時代に、『大和』と表現される都は存在していなかったという結論にいたりました。 もう、奈良盆地に都『大和』があったなどということは、私の中ではあり得ないことだとなりました。 では、この列島の都は何処にあったのでしょう。 そこから、いろいろ調べましたが、今現在、この国にある資料からは、それを見出すことは出来ませんでした。 そして、ほぼ諦めかけていた時、ふと、この列島の都であるなら、何らかの痕跡が中国の史書に残されているかもしれないと思い浮かびました。その史書を調べる中で、『出雲』に都があったということが見えてきたのです。 そこからは、絡み合っていた糸がほぐれていくように、次から次と謎が解けていきました。古代、この列島の都は、今現在は『出雲』と呼ばれている地にありました。 しかし、663年11月18日、旧暦の10月10日、出雲の地にあった都は、唐王朝に滅ぼされてしまいました。今に伝わる、出雲で毎年行われている『神在祭』は、その時に殺戮された大国主命をはじめとした多くの人々を弔う行事として残されてきていると考えられます。 そして、唐王朝の勢力は、この列島の歴史から、その都も出雲王朝による支配も消し去り、奈良の地に都『大和』があったという歴史を捏造して、この列島に押し付け今に至っています。 万葉集は、消された出雲王朝の栄華盛衰を残そうとした人麻呂の悲痛とも言える思いから綴られたものでした。その第2首は、出雲大社から西に500メートルほど行き、詠われた当時は海岸に位置していて、今は『奉納山』と呼ばれている高さ70メートルほどの山の頂上で詠われていました。 出雲の地こそが、古代、この列島の都だったのです。 |
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