(7)再度万葉集に立ち返る 

1)万葉集の原文も検証  
 万葉集の歌に疑問を抱き、近畿や北九州にまで出かけましたが、それらの疑問は解決するどころか、新たな疑問まで出てきてしまいました。そこで、もう一度、万葉集に立ち返り、調べ直すことにしました。通説としての解釈だけではどうにも謎が解明できそうにないので、再度、原文も含めて万葉集の歌を検証していきました。
 ところが、またまた新たな疑問が出てきました。調べれば、調べるほどに疑問が増えるばかりです。
 まずは、先にご紹介した第2首の原文を見ることにしましょう。

『大和には 群山あれど 取り寄ろふ 天の香具山 登りたち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国そ あきづ島 大和の国は』(巻1-02)
 山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多 都 怜A國曽 蜻嶋 八間跡能國者 (Aはりっしん偏に可)
 
 この第2首の解釈、奈良大和3山の香久山で詠まれたということに疑問を抱き、現地にまで行きましたが、やはり奈良盆地に海原はどこにも見い出すことはできず、決して奈良の地で詠まれてはいないという確信を得ることが出来ました。これが、私にとっては、古代史に関わる原点となりました。
 そして、そうなりますと、当時の大王がいた都は、奈良ではなかったということにもつながります。
 では、都『大和』は、そして、『天の香具山』は、どこにあったのでしょう。そういった疑問が、常に私の頭から離れることはありませんでした。

2)万葉集の原文に『大和』は登場していない
 そんなことを考えていましたら、第2首に登場しているのが『都』であるなら、他にも『都』が詠われているかもしれないと、ふと思い浮かびました。そこで、万葉集の歌から都『大和』を探ろうと、調べていきました。
 すると、その『大和』を調べましたら、ある一つの結果、そして重大な疑問に行き着きました。第2首の読み下し文では『大和』とありますが、原文では『大和』と書かれていません。まあ、旧くはこういった文字を使っていたのだろうと思っていましたが、他の歌を調べても、原文に『大和』という表現は出てきませんでした。なんと、万葉集の原文で、地名『大和』という文字はどこにも登場していませんでした。
 どういうことなのでしょう。
 私が調べた限りにおいては、読み下し文で都『大和』という表現の原文は、
 『倭』   19首(1)
 『山跡』  18首
 『日本』  14首
 『夜麻登』 5首
 『八間跡』 1首(1)
 『也麻等』 1首
 『夜萬等』 1首
 『夜未等』 1首
の58首60箇所に『やまと』と読まれている地名の表記がありました。
 しかし、万葉集の原文で、『大和』という地名の表記は1首たりともありませんでした。つまり、第2首に詠われている『やまと』をはじめ、当時の都『やまと』が奈良『大和』であるという認識は、万葉集には無いということが分かりました。
 そこで地名について調べてみますと、713年施行の『好字令』、そして平安朝の時代、967年に施行された『延喜式』で、地名は漢字2字で表記せよということになりました。全国各地には、その当地の人でなければ読めないような地名が数多くあるのは、それまで呼ばれていた地名に、この時に漢字2字を当てたことから来ているようです。つまり、『当て字』をすることで、そのような詠み方になってしまいました。
 そうなりますと、奈良の『大和』という表記もその頃に発生しているのかもしれません。
 しかし、万葉集の歌が詠まれた頃に『大和』と表記する都は存在していなかったということになります。
 万葉集の原文を検証することで、第2首に詠われた都『やまと』が、奈良『大和』でなければならない根拠は、私の中では完全に消え去りました。奈良『大和』が、第2首が詠われた当時の都ではなかったとして、では、当時の都『やまと』は、いったい何処にあったのでしょう。
 いろいろ調べてみましたが、そんなことは、わが国のどこにも残されていません。にわかに、素人が調べたとしても、そんなに簡単に分かるとも思えません。万葉集の謎に出会って以来、ここまで来ましたが、とうとう暗礁に乗り上げてしまいました。もう、お手上げといった状況に陥ってしまいました。
 でも、分からないものはどうしようもありませんから、とりあえずは他の歌の疑問を調べることにしました。それらの歌を調べていますと、さらに謎は増え、あるいは深まるばかりです。
 次から次と、分からないことが出てきます。
 そんな不可思議なことに頭を悩ましていた頃です。ふと、わが国の都であるのなら、中国の史書に何らかの形で反映していても不思議ではないと、思い浮かんだのです。
 もう、ここに至っては、中国の史書に頼るしか打開と解決の道はありません。この列島の都について、何か手がかりはないだろうかということで、しばらくは、中国の史書を検証することにしました。




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