9、 「はい、お父さん」 明代が、父にPTA広報誌を手渡した。 「おっ、届いたよ。あれっ、今日は帰るのが早いね」 「何を言ってるのよ。今日は終業式よ。もう冬休みに入ったの」 「あっ、そうか」 「あら、明代ちゃんお帰り」 妻の洵子もやって来た。 「ほら、今回の広報誌だよ。中々難産だったよ。部員のみなさんも本当に大変だったんだ。そうだ、増田部長さんにメールを入れておこうかな」 「じゃあ、その間に見せてもらうわね」 洵子が、広報誌を手にしていた。 「あなたが撮ったこの表紙の写真に写っている山本のおばあちゃんね、PTAの広報誌の表紙に載るって喜んでいたから、もし余分があったら渡してあげたいんだけど」 「大丈夫だよ。そうだ、明代。長倉先生に言って一部もらってきてくれよ。事情を話したらすぐ分かるはずだよ」 十月に、中学二年生が、町内の事業所体験をする行事があった。 恒之は、増田部長と一緒に、たまたま洵子がパートの看護師として勤務している社会福祉協議会のデイサービスへ、取材と撮影に行った。 その時、デイサービスに来ていた山本のおばあちゃんと女子生徒を、一緒に撮った写真が表紙に採用された。 その近くにある保育所でも撮影したが、表紙に使えそうなのは、その一枚だけだった。 記事のスナップ写真には使えても、表紙に使える写真を撮るのは非常に難しい。 「休み明けまで覚えているかなあ」 「お母さんが、また催促してあげるわよ」 洵子が、広報誌を眺めながら明代に話している。 「いよいよ、年が明けたら高校受験だよなあ」 「ねえ、本当に大丈夫かしら」 恒之の言葉に、洵子も心配そうにしている。 「大丈夫、大丈夫。必死に頑張るわ」 一方、由美は呑気そうに答えている。 「本当に、頑張ってね。お母さんは胃が痛くなりそうよ」 「子どもは、小さいうちはかわいいねで済むけど、大きくなればなるほど、親の悩みも大きくなっていくよ」 「そうね。ほら、ちょうど広報誌の特集で『親の悩み、子の悩み』ってあるわよ」 洵子が、先ほどの広報誌を広げていた。 「でも、一番悩んだのは、特集を担当した部員さんたちかもしれないよ」 「そうなの。大変だったのね」 恒之は、夕食を終えると、その日も二階でインターネットを見たり、図書館で借りてきた本を読んだりしていた。 「今日も万葉集を調べているの?」 洵子が、上がってきた。 「万葉集は、ちょっと一段落したから、今は、出雲について調べているんだよ」 「出雲?」 「今年の正月は、熊野大社へ初詣に行っただろう。あれ以来、いろいろ調べてみるんだけど、何か良く分からないんだよなあ」 「何が分からないのか知らないけど、毎日大変ね」 「まあ、好きでやっていることだからね」 洵子は、横で、いつものように旅行雑誌をめくっている。 「どうも、いろいろ調べていると出雲王朝というかスサノオ一族は、この列島でかなり大きな勢力を誇っていたようなんだ。神社にその名残があって、全国の神社のうち八割くらいは出雲系の神を奉っていると言われているよ」 「それだけ、当時の人たちには、尊敬というか奉られるほどの影響力を持っていたということなのね」 「そう思うんだよ。でも、歴史の中では、出雲の人たちが何か全国的にこんなことをしていた何て出てこないよなあ」 「そうね。出てくるのは、神話の中だけよね」 「きっと、現実の世界に於いても何か相当大きな功績を残していると思うんだよ。そうでないと、全国の神社で奉られるなんてことにはならないよ」 「そうよねえ、でも、どんなことをしていたのかしら」 「かなり、人々の生活に大きな影響を与えていたはずだよ」 「でも、そのスサノオ一族は、朝鮮半島の方からやってきたと聞いたことがあるわね」 「そう、元は放牧騎馬民族で、北東アジアから鉄資源を求めてやってきたそうだよ」 「鉄を?」 「だから、今でも島根県の横田地方には『たたら製鉄』が残されているよ。大原の刀も有名だよ。源氏や平家の刀は、大原で造られていたとも聞くよ」 恒之は、また本を読み続けた。 「今年の正月に熊野大社へ行ったけど、紀伊半島にも熊野本宮大社とか熊野市とか、熊野があるわよねえ」 「あるねえ」 「出雲の熊野と、何か関係あるのかしら」 「そりゃあるだろう。熊野大社で買った本にも出雲から分社したような事が書かれているから、それは間違いないだろうね」 「でも、どうして紀伊半島に移ったのかしらね」 「熊野とは、出雲の勢力の象徴というか屋号みたいなものかな。あるいは、スサノオを意味しているのかもしれない。だから、スサノオを守護神として奉ったのかとも考えられるんだよ」 「守護神ねえ」 「スサノオの息子のニギハヤヒが、三輪山に奉られていると言われているんだけど、そのニギハヤヒが、父のスサノオを熊野本宮大社に奉ったという説もあるよ」 「それは、真実味があるわねえ。そんな凄いお父さんなんだから、奉る気持ちも分かるわね」 「そこまでは、なんか良く分からないまでも、そうなのかなあとも思えるんだよ」 「ニギハヤヒがお父さんを奉ったのだからそれでいいじゃない」 「でも、出雲の勢力だよ。スサノオが、どうして息子を、紀伊半島にまで送り込んだのか、それが良く分からないんだ」 「きっとそれだけ重要な地域だったのでしょうね」 「出雲の鉄の勢力が、なぜ紀伊半島だよ。当時九州がこの列島では一番の拠点だったんだ。だから、スサノオは九州の制圧に行った。これは分かるよ。それと同じくしてニギハヤヒを紀伊半島に送っているんだよ」 「なるほどねえ」 「つまり、朝鮮半島からやって来て、まず出雲を拠点にした。そこから、九州と紀伊半島を一気に制圧しているんだ。九州は分かるよ。当時、そんな重要な地域でもない紀伊半島に、何故行く必要があったのだろう」 「そんなこと、出雲の人たちにでも聞いてみるしかないわよ 「そうだなあ。また松江か出雲の図書館にでも行ってみるか」 二人は、その後、それぞれの本を読んでいたが、ふと洵子がつぶやくように言った。 「去年は神戸に行ったから、次は岡山あたりにでも行ってみようかな」 「岡山ねえ、晴れの国、岡山だ」 「岡山城に後楽園、日帰りにはちょうどいいかもね」 「また日帰りかい、ゆっくり泊まってきてもいいのに」 「中々、日程が難しいのよね。私達が、二人とも出かけるのも大変だし。気軽に日帰りの旅も結構いいわよ」 「そうか、まあ、いろいろ計画するのも旅行の楽しみだよな」 「そうなのよ。こうやって、ここに行こうか、あそこへ行こうかって旅行雑誌を見ているのが好きなのよ」 洵子は、楽しそうにその本を見ていた。 「あら、備前長船って岡山市のすぐ近くなのね」 「あの名刀備前長船かい?」 「そう、名前は聞いたことあったけど、場所までは知らなかったわ。そうなの、こんな所だったのね。イメージ的には山の方を思い浮かべるわよね」 「大原も山の中だからね。確かにそう思うよなあ」 「でも、昔のたたら製鉄ってかなり純度の高い鉄が出来たそうよ。現代の製鉄法より質が良かったみたいね」 「そう。だから名刀も生まれたんだなあ」 「だけど、その製鉄法では、高炉を高温に保つために、かなりの量の炭が必要だったようね」 「ほう、そんなことまで書いてあるんだ」 「『たたら製鉄とは』って、その横に説明があるのよ」 「ちょっと見せてくれる?」 「ええ、いいわよ」 「何々、鉄1トン作るのに、砂鉄は約十トン、炭は約十五トン、その炭を作るのに木が約六十トンいるのか。相当多くの木が必要だったんだなあ」 「でも、昔の人がその製鉄法を完成させた時は、これで世界を制覇できるなんて思ったのかもしれないわよ」 「かもね、今でも鉄を制する者が国を制するとも言うよ。当時にしたら、まさしくそうだったんだろう」 恒之は、洵子に旅行雑誌を戻した。 「ねえ、備前長船って、全然、山の方じゃないわね。そうなると、木や炭を運んで来るのが大変だったんでしょうね」 「だよなあ、山の中なら木や炭がすぐに手に入るからね」 「じゃあ、たくさんの木や炭を備えておかなければいけなかったということよね」 「だろうね。んっ? ちょっと待てよ。木を備えるねえ」 恒之は、その言葉で、いろいろな事が見えてきた。 「木だよ。そうか、なるほど、木だったのか。木が目的だったんだよ」 「木が、どうしたのよ」 「鉄を制するには、膨大な木が必要だよ」 「そうね。重さにして鉄の六十倍もの量が必要だものね」 「なるほど、そうだったのか。これでやっと分かったよ」 恒之は、当時の大きな流れが何となく分かってきたような気がした。 「だから、何がどう分かったのよ」 「備前長船という名刀が残っているということは、相当、製鉄とその加工技術がその周辺にあったということだろう」 「そうよね」 「でも、備前長船は、山の中ではなく、山陽道沿いだよ。大きな製鉄業がその近くで行われていたとしたら、木を山のように備えておかなければいけない。つまり、木を備えていた所が近くにあったんだよ」 「何処に」 「だから、木を備える所で木備なんだよ。今は吉備と書くけど、きっと、その元の意味は木を備える所という意味で、『きび』と呼ばれていたんだよ」 「そうなのかなあ」 「その当時は、字が使われていたかどうかも分からないよ。今の吉に備は、後の時代につけられたんじゃないかな」 「じゃあ、そこに備えられていた木は、何処からきたのよ」 「そこだよ。あるいは、中国山脈から切り出されてきたとも考えられる。しかし、全国に誇る木の産出地があったんだよ」 「そんな所が、あったの?」 「あるんだよ。木を備える所が木備なら。木を産出する所と言えば」 「と言えば?」 「木の国。つまり紀の国、紀伊半島だよ」 「ああ、なるほどねえ」 洵子も、それには納得がいった。 「そう言えば紀の国は、木がたくさんあるから紀の国と名前がついたと聞いたことがあるわ」 「では、なぜ紀伊半島かなんだよ。別に、出雲に近い中国山脈でもいいじゃない。九州でもいいじゃない。なぜ、紀伊半島だったのかということだよ」 「そうよね、どうして」 「紀伊半島には、大台ケ原と言われる所があるのを知っているかい」 「名前くらいは」 「そこは、年中雨が降っていると言われるほど年間の降水量が多いところなんだよ。つまり、温暖で雨が多いということは?」 「木がよく育つ?」 「そうだよ。すべては、それだったんだよ」 「すべてって?」 「大陸や朝鮮半島は、どちらかと言えば寒冷で乾燥している。ということは、木が大きくなるのに、年数がかかる。次第に増大してきた鉄の需要を満たすには、木の量が不足してきたんだよ。そこで、スサノオ一族は、この列島に目をつけた。そして、紀伊半島という木を育てるのに絶好の場所を発見した」 「まあ、考えられないことではないわね」 「だから、製鉄を支える一番重要な場所だから、息子のニギハヤヒを送ったんだよ」 「なるほどねえ」 「その木を搬出するのに、西向きには川があり、東向きには海があった。こんなに絶好な場所は、他には無いだろう」 「確かに、そうね」 「山のように木が切り出され、川を下って西に出た。その川は、木の川、つまり今の紀ノ川だよ。河口には今でも大きな貯木場があるよ」 「なるほどね」 「東向きに搬出された木は、熊野市のあたりから東国へ向けて送られたのだろう。また、木材としてだけでなく、紀伊半島のあちこちで炭にして、全国のたたら製鉄の産地に送られたのかもしれない」 「でも、あくまで想像だよねえ」 「限りなく事実に近いと思うけどなあ。紀州で作られた炭は、備前長船にも相当送られていたと思うよ」 「紀伊半島から備前長船に?」 「そう」 「本当かしら」 「紀州で、今でも造られている有名な炭の名前を聞いたことがあるだろう」 「あれね、煙が出ないとかいう備長炭ね」 「なんで、紀州で造られていて備長炭なんだろう」 「そういう銘柄だから?」 「だから、どうしてそういう銘柄がついたかだよ」 「そんなの私が知る訳ないでしょう」 「備長炭の字を良く見てご覧よ」 「字を?」 洵子は、恒之に言われてその字を見た。 「ああ〜、分かった」 「だろう」 「そうよね」 「紀州木の国だよ」 「でも、そんな歴史はどこからも聞かないわよね」 「そうなんだ。そこなんだよ。こうやっていろいろ歴史の謎が分かるだろう。でも、何故それが知らされてないのか、いつもそこのところが不思議なんだよ。別にそんなに難しい内容とも思えないのにだよ」 「そうよね、何故だろうね。そんなに重要じゃないからかしら」 「そうかなあ、かなりすごい歴史だと思うけどなあ。これでかなり国造りが進んだはずだよ」 恒之は、そんなことを思いながら再び本を読みかけたが、知らず知らずのうちに眠りの中に引き込まれていった。