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万葉紀行
由美と行く 

2、
 「では、気をつけてね」

 「ああ、忘れ物は無かったよな」
 西山恒之は、いろいろと載せた後部座席を振り返った。
 「よし、じゃあ行ってくるよ」

 「着いたら連絡入れてね」
 手を振る妻の洵子に、軽く手を上げながら恒之は車を発進させた。
 中国山脈を越え、中国自動車道を東に向かった。
 時折、雨のぱらつく生憎の天候だった。
 『明日の朝は、晴れてくれるかなあ』
 出てくる時に、三重県の天気予報も見てきたが、雨と晴れのマークが並んでいた。
 中国自動車道から近畿自動車道を経て、午後一時半頃に奈良市内へ入った。
 奈良公園周辺の駐車場は、きっと満車だろうと思い、県庁付近の駐車場に車を入れた。
 そこから、少し歩くと奈良国立博物館に着いた。
 やはり、周辺は多くの人であふれていて、当日券を購入する人の列もできていた。

 恒之も続いて入場券を購入し、展示会場に入った。
 展示期間があと数日しかないので、中は超満員だった。
 『金曜日でこれだと、土日は立錐の余地も無いかな』
 恒之は、会場内の壁に沿って並べられている展示物を人垣の間から見た。
 『紐縄?』
 雑色縷(ざっしきのる)と表示がある。
 太さが五ミリ程度で、長さは約二十メートル程の縄が二つ束ねて置いてあった。

 全体としては濃い緑に見えるが、五色の細紐で結ってある。
 大仏開眼会などの儀式で使われたようだ。
 『これが、千二百年以上も前に使われていた紐縄だって?』
 確かに立派な紐ではあるのだが、恒之は、その保存の良さに驚いた。
 最近買った紐だと言って置いてあっても、誰も不思議には思わないだろう。

 ちょっと、渋い趣味の持ち主と思われる程度だ。
 きっと、今でも普通に使えることだろう。
 ところが、さらに驚嘆する物が出ていた。
 『ほう、何て立派な太刀だろう』
 金銀鈿荘唐太刀(きんぎんでんそうからたち)とあった。
 柄は、白い鮫の皮で包まれ、金銀水晶玉などで装飾が施されていた。
  その豪華さにも驚いたが、その横に展示されている刀身には唖然とするばかりだった。
 『本当にきれいな刀だ』
 錆や染みなどまったく無く、手入れが行き届いた刀身の美しさにあふれていた。
 恒之は、時たま魚を捌く時の為に包丁を二本持っているが、錆びないように加工してあっても、長年になると汚れてきたり、錆びが出たりする。
 そんなレベルでの比較にはならないが、本当にここまで状態良く保存してきた正倉院は凄いと思うしかなかった。
 展示品は、他にも数々の瑠璃(ガラス)、古文書、らでんの鏡などが出ていた。
 『如意?』
 犀角如意(さいかくのにょい)とあった。

 多くの金で装飾され、彩りも鮮やかに作られていた。
 「こんなにも豪華な孫の手で、背中なんか恐れ多くてかけたもんじゃないわね」
 「そうねえ、私たちには『百均』で売っているような物で十分よ」
 横の女性連れが話していた。

 恒之は、あまり豪華に作られているので、最初はそれが何なのか良く分からなかった。
 『そうか、孫の手ねえ』
 金、水晶、真珠、紫檀、黒檀、ツゲ、犀角、象牙、これだけの材料を使用し、こんなにも豪華絢爛に彩色が施された孫の手が、この世に存在していることが不思議だった。
 『これから先、こんなの二度と作られることはないだろうなあ』
 恒之は、他に象牙やトナカイの角などの展示品を一通り見ると、次は、会場の中ほどに何箇所か展示されている方に移動した。 
 それぞれに大きな人だかりができている。
 恒之は、近くの展示品を、人垣の少し空いているところから覗き込んだ。
 『おおっ、碁石だよ』
 そこには、紺牙撥縷棊子(こんげばちるのきし)と記されていた。
 サイズは、今、一般的に使用されているものより、少し小さいように思えた。

 象牙で造った碁石を紺というよりかなり黒に近い濃紺に染め、それに線刻を加え、白い線で花枝を口ばしに咥えて飛ぶ鳥が描かれている。
 そして、鳥の胴体のあたりや花には赤い色がつけてある。
 象牙を、丸く膨らみを持った同じサイズの碁石にするだけでも大変な作業であろう。
 それを染色し、一個々々に鳥と花の絵柄をあしらうのである。
 それも両面にである。
 みな同じような絵模様に見えるが、手作業だから、それぞれ良く見ると微妙に異なっているのが分かる。
 その作業を考えると、気が遠くなりそうだった。
 恒之は、感嘆の溜息を漏らしながらその場を離れ、次の展示物を見た。
 そこには、紅牙撥縷棊子(こうげばちるのきし)と記されていた。
 『赤い碁石だよ』
 先ほどの碁石と対である。
 こちらも、象牙の碁石を紅く染色し、線刻で花枝を咥えた鳥が描かれている。
 そして、羽や花の一部には少し緑色がつけてある。
 ただし、こちらの鳥には羽の冠があり、どことなく優雅に見える。
 下手(したて)が黒を持つというのは、昔も同じだったのかもしれない。

 他に、黒と白の石や碁石の入れ物も展示してあった。
 黒は蛇紋岩、白は石英で造られている。
 碁石の入れ物は、銀平脱合子(ぎんへいだつのごうす)とあった。
 相当、手の込んだ文様が施されているが、かなり使い込まれているようにも見えた。

 どちらの石が入っているか分かるようにする為だろうか、一方の蓋の中央には象の姿が描かれている。
 恒之が、次の展示物のところへ行くと、一際大きな人だかりができていて、感嘆の声もあがっていた。
 『囲碁盤だ!』
 中々すぐには近づけなかったが、それでも少しずつ人が流れ、ようやくその前に立つことができた。
 『これだよ。やっと見ることができた』
 昨年見た金印と同様、偉大なる歴史的遺産に直面し、感無量と言うほか無かった。
 そこには、木画紫檀棊局(もくがしたんのききょく)とあった。
 紫檀を基本に、象牙、ツゲ、黒檀、銀板や銀線で彩色が施されている。
 四側面には、同様に象牙などでラクダを始め、西南域を思わせるような動物や鳥が描かれている。
 また、対局者の左手前には、取った相手の石を入れるための引出しがある。
 その引出しは、一方を開閉すると他方も連動するように細工がしてあった。
 容器は、亀とスッポンが型取られていて、金箔や、銀、金銅で装飾されている。
 『さっきの碁石と、この碁盤を使って、はたしてどんな人が囲碁に興じたのだろうか』
 おそらく、普通の人は、この囲碁盤に近づくことすらなかったであろう。

 また、囲碁そのものも、ごく限られた人たちの間でしか、まだ普及していなかったのかもしれない。
 恒之は、ある二人が対局している姿を思い浮べた。
 「一度でいいからこんな碁盤で打ってみたいよ」
 近くで、誰かの声が聞こえた。
 恒之も、珠に囲碁を打つことがあるが、この碁盤ではあまりに立派過ぎて、とても落ち着いて打てるとは思えなかった。
 まあ、そういう機会が来る筈もないのであるが。
 『いい物を見せてもらったよ』
 恒之は、今回の正倉院展の資料や正倉院の宝物に関する本を購入して、博物館を出た。
 そして、小雨がそぼ降る中を駐車場へと急いだ。
 二時間ほどの駐車料金を払い、次の目的地である伊勢へ向かうことにした。
 するとその時、恒之の携帯電話から、メールの着信音がした。

 『あっ、由美だ』
 滋賀の大学に通う娘からだった。
 大学の近くにアパートを借りていて、昨年、滋賀や奈良をいっしょに回った時には、ちょうど良い宿になった。
 恒之は、まだ駐車場から出たところだったので車を道の横に止めた。
 【お父さん、お久しぶりです。今年も正倉院展をやっているようだけど、私はちょっと行けそうにもありません。その後、万葉集の研究は進んでいますか。また、正月には帰りますね】

 由美から、たまに、思いついたようにメールが届く。
 『そうか、由美は正倉院展が気になっていたんだ。昨年はいっしょに行ったからなあ』
 すぐに返信した。
 【正倉院展は、今見てきたところだよ。やはり凄かった。これから伊勢に向かう】
 恒之は、天理市まで南下し、そこから名阪国道を走り、亀山で伊勢自動車道に乗った。
 途中、サービスエリアで休憩していると、由美からメールが入った。
 【ええっ、リアルタイムだったの?いいなあ私も行きたかったな。で、どうして伊勢なの?お父さんのことだから普通に観光なんてことじゃないだろうけど】

 今回は急なことでもあったが、伊勢では車中泊になるので、娘の同行はちょっと難しいと思い、由美には知らせてなかった。
 『伊勢に着いてからメールするか』
 恒之は、伊勢二見が浦を目指した。 
          



                         

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