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万葉紀行
由美と行く 
1、
 「お父さん、そろそろ出かけないと遅れるよ」

 「あっ、そうだ。うっかり忘れるところだったよ」
 西山恒之は、娘の明代に言われて、PTA広報誌の編集会議があることを思い出した。
 遅刻はしなかったが、中学校の会議室に入ると、すでに広報部員の皆さんが集まっていた。
 「みなさん、こんばんは。ご苦労様です。では、依頼した原稿が集まってきていますので、編集作業に入ってください。まだ届いていない原稿があったら催促してくださいね」
 部長の増田さんのあいさつで、それぞれ担当するグループごとに紙面の割付や見出しなどの検討が始まった。
 今年度、増田広報部長からの依頼を受け、西山は副部長を担当している。
 部員は『表紙、特集、行事』の三つのグループに分かれて作業をしていて、西山は各グループの進行具合を見て回っていた。
 「西山さん、原稿をお願いします」
 表紙のグループから声が掛かった。
 編集後記の原稿が、まだ依頼してなかったようだ。
 「分かりました。では、次の編集会議の時までに用意しておきます」
 そう言えば、増田部長が『編集後記の原稿依頼が来てないわね』と話していたことを思い出した。

 前号は部長が書いたので、今回は副部長にということのようだった。
 その次に、特集のグループの所に行くと、議論が伯仲していた。

 「西山さんどう思われます?」
 特集のグループは、あらかじめ生徒や保護者にアンケートをとっており、その結果をどう表現するかということで悩んでいた。
 西山も一緒に議論したが、中々まとまらなかった。
 結局、それぞれが分担して、また特集グループだけで別の日に集まることになった。
 「では、来週の火曜日の夜にしましょう」

 その頃になると、他のグループも作業を終え、担当の長倉先生は、印刷業者に渡す原稿の引き継ぎを受けていた。
 西山は、長倉先生に特集グループの日程を伝えた。
 「その日は、文化祭の代休で休校ですが」
 「あっ、そうか。そうでしたよね」
 また特集グループで日程を調整したが、どうしてもその日しか集まれなかった。
 「長倉先生、日程を変えるのが難しくて、結局、新田さんのお宅で編集作業をすることになりました。もし、先生もご都合がつくようでしたら、おいでください」
 西山は、再度担当の先生に話をした。
 「その日は出かけているもので、ちょっと参加はできません」
 「それじゃあ仕方ないですね。でも、お休みの日まで大変ですね」
 「いえ、正倉院展に行くんですよ」
 「ええっ、正倉院展ですか。僕も昨年行ってきました。万葉集や古代史にいろいろと疑問が湧いて、滋賀、奈良、北九州などをまわったんですよ」
 「そうですか。古代史は、面白いですものね」
 長倉先生は美術の先生で、正倉院展に出展される数々の宝物に興味をお持ちのようだ。
 『万葉集だ、古代史だ』といった話に興味を持つ人が周囲に居なくて寂しい思いをしている西山には、とてもうれしく思えた。
 「聖武天皇が何故あれほどの宝物を持っていたのか、また何故それを引き継ぐ者がいなくて東大寺に寄贈されたのか。等々、正倉院の宝物には、謎が満載ですよね」
 西山は、思わず話し込んでしまった。

 しばらくすると、それぞれのグループが片付けを終えて帰りかけていた。
 「では、長倉先生、気をつけて行ってきてください」
 そして、部員のみんなが、中学校を後にした。

 恒之は、家に帰ると早速パソコンを開き、インターネットで正倉院展を検索した。
 『今年は、いったいどんな宝物が出展されているのだろう』
 昨年は、あちこちに出かけたが、今年はいろいろと忙しくて、とても古代史探索などと言ってはいられなかった。
 だが、長倉先生が見に行かれるというのなら、せめてその内容くらいはチェックしておきたかった。
 『第五十七回正倉院展』
 恒之が、そのサイトをクリックすると、主な展示物が紹介されていた。
 『ええっ、囲碁盤だって!』
 そこには、金銀象牙で豪華に装飾されている碁盤が載っていた。
 『とうとうこれが出てきたのか』
 恒之は、身震いするような感動を覚えた。
 展示期間を見ると、もうあとわずかしかなかった。
 『今なら、まだ間に合う。これを見なかったら一生悔いが残るよ』
 恒之は、密かに奈良行きを決意した。

 そして、道路地図を広げた。

 『これなら、伊勢にも行けそうだ』
 しばらくして、二階から下に降りると、台所に妻の洵子がいた。
 「今日は、広報の編集会議でびっくりしたことがあったよ」
 「あら、何が?」
 「担当の長倉先生が、正倉院展に行かれるんだって」
 「それは、遠く奈良まで大変ね」
 「今までにも何回か行かれてるそうだよ。さすが、美術の先生だ」
 「そうね」

 「ところが驚いたことに、先ほどチェックしたら、今年の正倉院展には囲碁盤が出展されているんだよ。この囲碁盤は、それはそれは、凄い代物なんだ」
 「ふうん」
 「その物自体もそうなんだけど、それにまつわる逸話を聞いたら、もう驚くよ。ちょっと長くなるけどね、実は、聖武天皇は…」
 恒之の話に熱がこもってきた。
 「なるほど、あなたの言いたいことは分かったわ」
 「分かったって、まだ話はこれからだよ」
 「全部聞かなくても分かるわよ。つまりは、その正倉院展に行きたいんでしょう」
 「いや、これは、その、歴史的遺産であって、今回を逃したらもう見れないかと」
 恒之は、洵子に自分の心を見透かされて、言葉につまってしまった。
 「いいわよ、行ってらっしゃいよ。今年は春からずっと大変だったんだから、息抜きに行ってきなさいよ」

 「本当にいいのかい。良かった。では週末は、奈良から伊勢に行くとするか」
 「えっ、伊勢まで何しに行くのよ」
 「伊勢神宮は、日本建国と深い繋がりがあるんだよ。それに、二十年に一度遷宮を行っていて、つまり建て替えだよ。それを今年から準備に入っているんだ。奈良に行くんだったら、足を延ばして伊勢にまで行こうと思ってね」
 「ねえ、何日間行く気なの」
 洵子は、昨年のように『三泊だ、四泊だ』なんて言わないかと心配になった。
 「さすがに一泊二日は無理かな、でも精々二泊三日もあれば十分だよ」
 「そう、じゃあまた安く泊まれる所を探すことね」

 「今回は、車中泊だよ」
 「ええっ、そこまで切り詰めなくてもいいのに」
 「そうじゃないんだ。伊勢には二見が浦という名所があって、そこに夫婦岩と言われる大小二つの岩が海岸に並んでいるんだよ」
 「何か、それ聞いたことがあるわね」
 「ちょうど夏至の頃には、太陽がその二つの岩の間から昇るんだ。ただ、今の季節にはそれを見るのは無理だけど、少々ずれていても朝日が近くから出てくるところを撮影したいんだよ」
 「それで、前の夜から待機をするなんて、ご苦労様なことね」
 「そのことが、あの地に伊勢神宮が建設された理由の一つになったのではないかと思ったりもするんだ」
 「そう、まあ、気をつけて行ってらっしゃいよ」
 洵子は、詳しい話の内容までは、そんなに興味は無いようだ。
 ともかく、これで恒之の念願が叶い、昨年に引き続き今年も正倉院展に行けることとなった。
        



                  

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