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由美と行く 
万葉紀行

11、

 ゴーン

 ゴーン

 除夜の鐘の音が、今年も聞こえてきた。
 この音を初めて聞いたのは、いつの頃だっただろうか。
 小さい頃は、大晦日と言っても、夜更かしなどできず、すぐに寝ていた。
 小学校も高学年になってからか、家族とともに初めてその音を聞いた時には、どことなく自分が少し大人に近づいたような気がしたのを覚えている。
 耳を澄ませていると、あの頃と同じ鐘の音が、遠くの方から、かすかに聞こえてくる。
 恒之は、今年一年を振り返りながら、二階で万葉集や、古代史に関わる資料を読んでいた。
 その中で、古代における行政区分、つまり五畿七道を記した地図の所で目が止まった。
 それを見ると、ちょうど明石海峡のあたりに畿内と山陽道との境界があった。
 今の須磨区のあたりまでが畿内で、垂水区のあたりから山陽道だった。
 つまり、明石海峡に差し掛かるあたりからは、山陽道に入る。
 『そうか。ということは、このあたりに畿内との境界があったんだ。摂津の国と播磨の国とがそこで分けられている。つまり国境だよ』
 国境と言っても、現在の国家的な意味における国境ではなく、どちらかと言えば、その影響や勢力のおよぶ範囲つまりテリトリーで、今の県境といったところであろうか。
 恒之は、それを見ていると、明石海峡は、ただ海峡と言う以上に何か違った意味を持っているように思えてきた。
 『なるほど、国境だよ。明石海峡は国境だったんだ』
 そう考えると、あの歌の意味も理解できるように恒之には思えてきた。
 『きっとそういうことだよ、そうとしか考えられないよ』
 そんな事を考えながら、恒之は、次第に目を閉じた。 
 そして、恒之が眠っているうちに静かに年は移り変わった。
 明けて新年、恒之が目を覚ますと、隣では洵子がまだ寝ていた。
 昨夜は、子どもたちと遅くまで起きていたのだろう。
 恒之は、下に降りて、届いていた元旦の新聞を手にした。
 奥の居間でその新聞を見ていると、由美が起きてきた。
 「お父さん、明けましておめでとう」
 「おめでとう。昨夜は遅かったのかい。まだゆっくり寝ていてもいいんだよ」
 由美は、まだ少し眠そうにしている。
 「昨夜は、三人でゲームをしていたんだけど、私は眠くなって先に寝たの。お母さんと明代は、まだやっていたみたいよ。お父さんは、起きるのが早いのね」
 「そんなに早くもないけど、昨夜はいろいろ資料を見ていたら、知らないうちに寝てしまっていたよ」
 「夜も、資料を見たりしているのね」
 「昼は、中々時間が取れないから、夜が一番ゆっくり調べられていいんだよ。昨夜も古代の資料を見ていたら、ある重要な事が分かったよ」
 「重要なこと?」
 由美は、元旦から古代史の話など、あまり気が進まなかったのだが、『重要な事』と言われて思わず聞いてしまった。
 「古代における五畿七道の境界を記した地図を見ていたんだよ。するとね、ちょうど明石海峡のあたりに摂津の国と播磨の国との境界があることに気づいたんだよ」
 「境界ねえ」
 「つまり、あのあたりが畿内と倭国とを分ける国境で、明石海峡から先は倭国だった。だから人麻呂は、そこまでやって来て、感慨深くあの歌を詠ったのではないかなあ。『ようやく倭国の地に入ったよ』という、人麻呂の思いが込められているように思えるんだ。それを、『倭嶋所見』と表現した」
 「なるほどねえ」
 「『倭嶋』という嶋の名前ではなく、『倭国』の嶋が見える所までようやく来たよという思いで詠われているのではないかな」
 「それだと分かりやすいわね」
 「ということはだよ。明石海峡が畿内と倭国を分けていて、倭国はそれより西だということになる」
 「だよねえ」
 「そうなると、事はそれだけで済まなくなるんだよ」
 「何が?」
 由美は、父が朝から力説を始めたので、ちょっと戸惑ってしまった。
 「万葉集で『倭』を『大和』と解釈することと矛盾することになるんだよ」
 「そうか、私の言っていた疑問に行き着くのね」
 「この事は、今までの万葉集の解釈を大きく変えてしまうほど、大変な問題をはらんでいるんだよ」
 「そんなに大変なことなの」
 「由美が言っていたように、『倭、日本、山跡、夜麻登』などが、みな『大和』と解釈されていただろう」
 「そうだったわね」
 「それを、根本からの見直しをしなければいけないことになるんだよ」
 「ええっ、そんなことに?」
 「ましてや、原文には『大和』なんて出てこないんだよ。だから、何故それらを『大和』と解釈するようになったのか。では、本当は『倭、日本、山跡、夜麻登』とは、それぞれ何を意味しているのか、そういった検討が加えられなければいけないことになる」
 「それは、確かに大変なことだわね」
 「古代史にかかわる問題も当然出てくるから、事はそう簡単には解決しないだろう」
 「お父さん、どうしよう」
 「どうしようも、こうしようも、とりあえずはそういう視点で、自分たちが調べていくしかないだろう。こんなこと、どこに言っても誰も相手になんかしてくれないよ」
 「それも、そうね」
 「これらのことが、必ずしも正しいかどうかも分からない。でも畿内の一国にすぎない『大和』がだよ、『倭、日本、山跡、夜麻登』をすべて独占しているのは、どう考えても変だよ。それだけでも、検討し直す価値は十分にあるはずだよ」
 「そうね」
 そこまで話していると台所で、洵子や明代の声が聞こえてきた。
 「あっ、降りてきたみたいね」
 「そうだね」
 由美が、台所へ移った。
 「おめでとう」
 「あっ、お姉ちゃんおめでとう」
 「お母さんもおめでとう」
 我が家における、賑やかな新年の始まりであった。
 恒之は、今年一年、みんなが健やかでいられるようにと思いながら、また新聞に目を通した。
          



                       

    

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