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 銀杏並木が黄色く染まり、キャンパスを行き交う学生の服装にも秋の深まりが感じられるようになった。
 西山由美は、その日の講義を終えて、友人の高田玲子とコーラスの練習に向かった。
 「玲子、『第九』の楽譜はもう覚えた?」
 「ううん、まだ。ドイツ語は難しいよね」
 二人は、滋賀県のとある大学のコーラスサークルに所属している。
 他の大学とのジョイントコンサートが年末に開かれるので、それに向けての練習に余念が無い。
 今日も、多目的ホールには次々とメンバーが集まってきた。
 「では、それぞれのパートごとで練習を始めようか。パートリーダーさんよろしく」
 指導は、大学の先輩でもある声楽家の丸井さんにお願いしている。
 「ソプラノの高音域のところね、上がりきらないことがあるので気をつけるように。しっかり、背筋と腹筋に力を入れて声を出さないと、ただの悲鳴に聞こえちゃうよ」
 名前は、まるいが、指導は厳しい。
 その日も、かなり遅くまで練習が続いた。
 「お疲れ様。由美、また明日ね」
 「またね」
 由美は玲子と別れ、自転車でアパートに帰った。
 学生の多くは、電車やバスを乗り継いで大学まで来ているが、由美は運良く近くにアパートを借りることができた。
 「ああ疲れた」
 由美は、アパートに戻ると、二階の椅子に腰掛けた。
 『そう言えば、夜はもうかなり寒くなってきているのに、お父さんはいつ来てくれるんだろう』
 父が暖房器具を届けてくれると言うので、由美は首を長くして待っている。
 『様子を聞いてみようかな』
 由美は、父にメールを送り、夕食の用意を始めた。
 そして、由美が夕食を済ませた頃、父からメールが入った。
 『今週の金曜日に来てくれるんだ』
 暖房器具が届くことになり、由美はほっとひと安心した。
 しかしその一方で、古代文学の講義で与えられたテーマに頭を悩ましていた。
 『万葉集について自由に検討を加えてレポートを提出しなさいと言われたけれど、どうしよう。提出期限はまだ先だから、また考えようかな』

 そして金曜日の夕方、由美がアパートに帰ると駐車場に父のワゴン車が止めてあった。
 「ただいま。お父さんいらっしゃい」
 「ああ、お帰り」
 「何しているの?」
 父は、台所で野菜を広げていた。
 「夕食の準備だよ。外食は気が進まないから、自分で作ろうと材料も持ってきたんだ。今夜は湯豆腐だよ」
 「わあ、うれしい。ところで、暖房グッズは?」
 「もう、上にこたつを用意したし、電気ストーブも持ってきたよ」
 「ありがとう」
 二階に上がると、机の横にコタツが出ていたので由美は早速足を入れてみた。
 『良かった。これで、やっと暖かい生活が送れるわ』
 由美は、少しくつろいでまた下に降りた。
 「お待たせ。さあ、できたよ」
 「じゃあ、私も遠慮なくいただきまーす」
 由美も向かいの椅子に腰掛けた。
 「今年初めて春菊を作ってみたんだけど、どうかな」
 「とってもおいしいわ」
 父恒之は、鳥取県の片田舎で自営業を営む傍ら、最近は家庭菜園で野菜も作り始めた。
 夏になると、きゅうりやトマトをわずかではあるが収穫していた。
 「ところで、みんな元気?」
 「元気だよ。お母さんも、コーラスに頑張っているよ」
 「タマは?」
 「猫? 元気だよ。って、あんたこの夏帰って来てただろう。そう変わった事なんかないよ」
 「そうだね」
 「それより、もっとメールを送ってくれるとうれしいんだけどな。こちらから送っても返信があまり来ないし、お母さんも由美からのメールを待ってるみたいだ」
 「いろいろと忙しくって。また送るね」
 しばらくは、家族のことが話題になった。
 「ところで、明日はどうするの?」
 「琵琶湖へ行く予定だよ。滋賀県に来たんだから、やっぱり琵琶湖に行かないとね。明後日は奈良へ行くよ」
 「琵琶湖と奈良って、思いっきり観光旅行だよね」
 「いや、観光というより調査という方が近いかな」
 「調査って、何の?」
 「そうだなあ、まあ、先に食事を済ませてしまおうか」
 夕食後、二階へ上がりコタツに入った。
 「それで、調査したいことって何なの?」
 「調査という程のことでもないんだけど、最近古代史に興味があってね。滋賀には近江大津宮があったと言われているだろう。それが詳しく知りたくて」
 
「ふうん、お父さんは興味を持つとのめりこむタイプだものね」
 「この春、書店でたまたま万葉集の本を買ったんだよ。それを見ていたらいろいろ疑問が出てきてね」
 「万葉集に疑問が?」
 「冒頭の第二首に天の香具山で国見をする歌があるんだけど、これがどう考えても変なんだよ」
 「お父さん、実は私ね、万葉集について研究レポートを提出しないといけなくて、どうしようかと悩んでいたところなの」
 「それは、ちょうどいい。明日は、琵琶湖だけでなく歴史博物館とか近江大津宮跡にも行こうと思っていたんだ。一緒に古代史を探索しよう」
 「そうしようかな。ということで、私はお風呂に入ってくるね」
 「ええっ、話はまだこれから面白くなるというのに。万葉集や古代史は、ミステリー満載だよ」
 「今日はこれくらいにして、お父さんはもう休まないとだめよ」
 「まだまだ、大丈夫だよ」
 父は、元気そうに言っていたが、由美が風呂から上がってきた時にはすでに寝てしまっていた。
 『やっぱり、お父さんは疲れていたんだ』
 由美は、机に向かって今日の講義のまとめを始めた。
 



                                  

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