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由美と行く 
万葉紀行

24、

 「明後日の日曜日に帰ることにするわね」
 「お姉ちゃん、もう帰っちゃうの」
 「3月に入ったら、コーラスの練習が入ってくるのよ。次は、夏休みに帰ってくるわ。明代も、高校で頑張ってね」
 恒之は、夕食後、居間のパソコンで検索の作業に没頭していた。

 「お父さん、中国の史書をチェックしているの?」

 「いろいろ調べて、ようやく資料がそろったよ。中国の史書は、前漢の頃に司馬遷が記した『史記』以来、『明史』に至るまで、24史あるそうだ。中国では、前王朝の正史を、次に成立した王朝が編纂している」 
 「日本では、そういった歴史が残されなかったわね」
 「万世一系という名の下に、天皇家以外の王朝は無かったことにされてしまったからなあ。その後の実質的な権力者は、天皇を錦の御旗にすることで、支配者としての正当性を主張したんだよ」
 「銅剣が天皇に変わったようなものかしら」
 「権威の象徴だよ。さて、じゃあ、該当する資料をプリントアウトするよ」
 中国24史のうち、12史の中で倭国や日本が記されていた。
 恒之が、それらを印刷すると、解説も含め50枚程になった。
 「では、順番に見ていこうか。まず、最初は、西暦82年に完成したとされる『漢書』だよ」

 
 樂浪海中有倭人、分爲百餘國、以歳時來獻見云

 「西暦前後の頃は、倭人がいるようだといった程度のようね。百ほどの国があって、漢にまで行っていたということなのかしら」
 「全部の国が、行ったんじゃないだろうけどね。次は、三国志の魏書にある倭人条だ。これは、3世紀頃に書かれたものだが、かなり長いよ」
 「いわゆる魏志倭人伝ね」

 倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑。

 「出だしは、『倭人は、帯方の東南大海中に在り。山島に依りて國邑をなす』とある。妻木晩田遺跡みたいだよ」
 「そうね」
 「この後、行き方が書かれているよ」
 続けて由美も見た。
 「帯方郡から、朝鮮半島の西側を南下し、さらに南岸沿いを東へ行くと、狗邪韓国に至るとあるわね」
 「そして、海を渡り対馬、一大国、今の壱岐かな、そして末盧国に到達しているよ。そこからは陸上を行き伊都国、奴国、不弥国を経て南へ行くと投馬国がある。そして、さらに南へ行くと、邪馬壹国、女王の都に達するとある」
 「これが、女王卑弥呼がいた邪馬台国のことね」
 「そうだね。ただ、最近は、この『邪馬壹国』を邪馬台国と云う事に疑問視する説が出ているよ」
 「どういうこと?」
 「実は、この『壹』と言う文字は、『たい』とは読まないんだ。『いち』、つまり、ひとつということを意味する文字なんだ。だから、『やまいち国』と読むべきだと言う説もあるんだよ」
 「なるほどね。すると、山一国かな」
 「この後は、周辺の国々の紹介や風俗が書かれているよ」
 「かなり詳しく書かれているわね」
 「占いもしていたようだ。骨を焼いてヒビの入り方で運勢を占っていたと書かれているよ。酒も嗜んでいたみたいだ」
 「国々には市があったようね。それを大倭が監督しているとあるわ。大倭が監督ってどういうことかしら。女王国より北には、特に一大率を置き、諸国を検察していて、諸国はこれを畏怖していたんだって」
 「一大率は、伊都国に常駐していたようだ。おそらく警官のような者だろうか、国中に刺史がいたともあるよ。治安対策が厳しかったのかもしれない」
 「この一大率って何かしらね」
 「率は、そつ、りつ、ひきいるということだから、一大が率いている役人みたいなものかなあ。律するというような意味だろうか」
 「一は、邪馬壹の一かしら。邪馬壹国が率いているということかもしれないわよ」
 「なるほど。では、大は?」
 「さっきも大倭が監視しているとあったわね。その大かな。でも、大は何を意味するのかしら」
 「なんだろう。その後、何度か交流があったようだ。そして、狗奴国との戦いの支援に、魏は張政等を派遣したが、その戦いで卑弥呼が亡くなってしまった。そして、その墓は、径百余歩とある。径ということは、直径だろうから、一歩50センチくらいとすれば、直径約50メートル程の円墳だったのかもしれないよ」
 「かなり大きそうね」
 「そして、程なく男王を擁立したが、国中の混乱は治まらず、千余人が死んだそうだ」
 「どうしてかしら。別に男王でも、王だと言えばそれまでのように思えるけどね」
 「そこで、13歳の壹與を女王にすると国中が治まったとある。そして、戦いも落ち着いたんだろう。壹與は、張政等が帰国するに当たり、倭の大夫率善中郎掖邪狗等20人を同行させている」
 「丁重に送っているわね」
 「その上、臺(台)に詣でて、男女生口30人他、数々の献上品を差し出しているよ」
 「臺(台)って何かしら」
 「魏の都にある王宮のことのようだよ」
 「では、皇帝に御礼申し上げ奉るといったことね」
 「これでいわゆる魏史倭人伝は、終わりだ」
 「ということは、魏と関わりのあった邪馬壹(一)国について書かれていたということね」
 「そういうことかな。他にも朝貢に行っていた国はあったんだろうけど、一番関わりが深かったということだろう」
 「お父さん、お茶を入れてくるから、ちょっと待っていてね」
 由美は、そう言って立ち上がり台所へ行った。
 その間、恒之は、戦いが絶えなかったであろうこの列島の古代を想像していた。
 『しかし、海を越えて大陸へ行ったり来たりするというのは、本当に命がけだったんだろうなあ』
 恒之は、その人たちの勇気に敬意を払いながら、次の史書を開いた。
 後漢書で倭について書かれている部分である。
 恒之は、まず原文を見た。

 倭在韓東南大海中、依山嶋爲居、凡百餘國。自武帝滅朝鮮、使驛通於漢者三十許國、國皆稱王、世世傳統。其大倭王居邪馬臺國。

 「ええっ!」
 恒之は、そこまで見ると、驚きのあまり思わず声が出た。
 「お父さんどうしたの?」

 由美が、お茶を入れて持ってきた。
 「ありがとう。これは、432年に成立した後漢書だよ。三国志より後に書かれているから、三国志を参考にしている所もあるようだが、ここを見てごらん」
 「その大倭王は、邪馬臺(台)国に居るとあるわ。これは、三国志には無かったわね」
 「三国志では、女王国とか邪馬壹(一)国という表現しかなかったよ。大倭王だとか、邪馬臺(台)国なんて出てこなかったよ」
 「この後に、何か書かれてないかしら」
 「そうだな。見てみようか」
 恒之は、その後を調べた。
 しばらくは、三国志にあったような風俗が書かれていた。
 「あっ、これは」
 「何かあった?」
 「金印だよ。志賀島で発見された金印のことが書かれているよ」
 「ええっ、ちょっと見せて」

 建武中元二年、倭奴國奉貢朝賀、使人自稱大夫、倭國之極南界也。光武賜以印綬。

 「なるほど、これが福岡市の博物館で見た金印の事なのね」
 「建武中元2年は、西暦で57年だから、卑弥呼の頃よりまだかなり以前のことだよ」
 引き続き、2人は後漢書を見た。
 「卑弥呼が大倭王だとか、邪馬臺(台)国に居るなんてことは、全然出て来なかったよ。どういうことなんだろう」
 「やはり、卑弥呼の居た邪馬壹(一)国と、この邪馬臺(台)国とは違うのかしら」
 「三国志で、臺(台)とは、魏の皇帝のいる所として書かれていただろう。こちらの臺(台)も大倭王のいる所として書かれている。つまりは、総理官邸とか、ホワイトハウスを意味するようなものだよ。臺(台)と壹(一)とは、まったく意味が異なる。皇帝の居る所を意味する臺(台)という字を使っているということは、それなりに意味を持たせているということだと思うよ」
 「すると、倭には、卑弥呼以外に大倭王が居たと中国に認識させるような国があったということなの?」
 「そういうことになる」
 「ええ〜!」
 「最後の方に卑弥呼の事が書かれているが、大倭王だとか、邪馬臺(台)国の女王を意味するようなことは書かれていないよ。むしろ、女王国から、海を渡って東に国があるが、卑弥呼には属していないとわざわざ書かれているよ。ということは、卑弥呼は、あくまで九州の中にある女王国の卑弥呼だったんだよ」
 「そうなると、大倭王と邪馬臺(台)国が別にあったと言っているのね」
 「この列島には、当時百余国があり、30ほどの国が中国に朝貢していた。そして、それらの国を従える大倭王が君臨する邪馬臺(台)国が存在していた。では、その邪馬臺(台)国とは、いったい何処にあり、どういう国で、どういう王だったのだろうか」
 「ねえ、一大率というかなり強力な警察機構のようなものがあったじゃない」
 「相当、恐れられていたようだ」
 「それが、その大倭王の国のものだと考えられないかしら。市を監督しているのも大倭とあったわ」
 「なるほど、大倭と出てきていたなあ。それは、考えられるかもしれない。大倭の王で大倭王なのだろうか」
 「いろいろ今までと違った見方が出て来たわね」
 「そうだよな。では、次を見るとするか」
 恒之は、由美の入れてくれたお茶を飲み、次の史書を開いた。
 「それは?」
 「『宋書』だよ。後漢書の約50年後、488年に書かれたとされている」
 「ということは、後漢書と似ているのかしら」
 「さあ、どうだろう」
 恒之は、その宋書に目を通した。
 しかし、その内容は一変していた。
 「似ているのは、最初の一言だけだよ。後は全然違う」
 「そうなの。じゃあ、また違ったことが分かるかもね」
 「なるほど、これが倭の五王だよ。『讃、珍、濟、興、武』の名前が出てくる」
 「倭の五王は聞いたことあるわね」
 「これは、何だろう。ここに、上表文とあるんだよ。武が、順帝に何か書いて使者に持たせているようだ。でも、何が書かれているのかさっぱり解らないよ」
 「どういうこと」
 「まあ、見てごらん。驚くよ」

 由美は、父の言葉に促されてその宋書に目をやった。

 「本当、難しいわね。まるでお経みたいよ」
 由美も、ほとんど意味が解らなかった。
 まったく意味不明の文章が続いている。
 「でも、それも変だなあ。これは、今までの倭人とは違うよ」
 「倭人とは違うって?」
 「今まで倭人と言えば、山や島に沿って生きている古代人というイメージだったろう」
 「そうね。妻木晩田遺跡に住んでいるような感じかな」
 「それは、中国から来た使者もそう見ていたように思えるよな」
 「後漢書までは、そうだったかな」
 「身体に刺青をして海に潜って、魚や蛤を獲っていたとあるんだよ。その刺青は、海に入っている時に鮫に襲われないようにするためのものらしい、なんて珍しそうに風俗を描いていたんだよ」
 「そうよね、かなり原始的に描かれていたわね」
 「それが、50年後の宋書になると、倭人は、中国人と変わらないような難しい文章が書けるほどに進歩しているんだよ。そんなに倭人は、いきなり文化が発展したというのだろうか。名前まで中国風になっているなんて、どう考えても変だよ」
 「そうよね。でも、文章の意味がよく解らないわ」
 「もう少し他の資料も調べてみないと、何とも言えないよ」
 「そうね。そうしましょうか」
 恒之は、一旦中断して、とりあえず、その文章の概略だけでも掴むことにした。



                      

   


      邪馬台国発見  

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