(30) 我が国の支配勢力のルーツは、『武則天』
 それまで歴史を改ざんしていた唐王朝が、この日本を占領・征服し、さらなる改ざんをしたことにより、我が国の歴史は、原形を留めないほどに歪められてしまいました。
 その後、唐王朝の勢力は、藤原氏を構成し、日本の人々を植民地支配下に置きました。その体制が確立したのが、大宝律令で、その時に、天皇を頂点とする位階制度、身分差別制度も導入しました。
 我が国に、天皇というシステムが登場したのはこの時です。そして、「釈日本紀私記」には、八世紀後半に、淡海三船が、神武天皇から元正天皇までの諡号を一括撰進したことを残しています。
 つまり、我が国における天皇は、聖武天皇に始まり、それまでの神武天皇から元正天皇までは創作されたものだということになります。同時に、今に伝わる古事記・日本書紀もその時以降に創作されていることになります。
 その天皇という名称をこの世に生み出したのは、武則天にありました。ですから、我が国においては、武則天は、天皇の祖先「天照」として伊勢神宮で祀られています。それを象徴するように伊勢神宮の神紋は花菱で、別名が「唐花」と呼ばれています。
 武則「天」の幼名・本名は、武「照」で、まさしく「天照」です。その武則天は、自らが即位すると、「聖神皇帝」を名乗っています。聖なる「神」であるところの「武」則天で「神武」です。つまり、天皇の祖先が「天照」だとか、初代天皇が「神武」だとしているのは、我が国の支配勢力のルーツは、武則天にあることを伝え残していたのです。
 その武則天を意味する天照は、古事記の中で、大陸を侵略せよという指令を残しています。それは、大陸を追われ、この列島に潜む唐王朝の勢力が、子孫に「唐王朝再興」を秘かに伝え残しているメッセージです。
 第十四代仲哀天皇の段に、仲哀天皇が神のお告げを請い求めると、その神は『西の方に国があり、金銀をはじめとして、目もくらむような種々の珍しい宝物がたくさんその国にはある。私は今、その国を帰服させようと思う』と答えています。
 つまり、その神は、大陸を征服せよと天皇に指示を与えています。
 しかし、仲哀天皇は、西の方を見ても何も見えないので、『国土は見えず、ただ大きな海があるだけです』と答え、その神の言うことに不信を持ち、知らん顔をして琴を弾いていました。するとその神は、『およそこの天下は、お前の統治すべき国ではない』と怒ってしまいます。それでも、仲哀天皇は無視して琴を弾いていましたが、そのまま絶命してしまいます。
 まるで、神の言うことに従わない者は、たとえ天皇であっても許されないということを意味しているようです。
 そして、次にその皇后が、また神にお告げを請います。その神は、『この国は、皇后の胎内にいる御子が統治する国だ』と言い、さらにその御子は『男子である』とまで答えます。そこで、その皇后は『今こうして教えをさとす大神は、いずれの神であるのか、その名前を知りたいと思います』と聞きます。
 すると、『これは天照大神の御意思である』と答えたとあります。
 つまり、天照大神の意思は絶対だと言っています。
 これは、どういうことを意味しているのでしょう。
 天皇は、一般庶民に対しては絶対的な権力者であり、明治憲法下では、神聖にして侵すべからずと、強権でもってその支配力を行使していました。
 ところが、記紀にあっては、天皇よりも天照大神の方がさらに絶対的な支配力を持っていたということになります。天照大神の意思であるとすれば、天皇であっても従わざるを得ないということのようです。つまり、絶対的な権力者であったかと思われる天皇の背後には、さらに強力な支配者がいたことを意味します。
 すなわち、『天照大神』を象徴とする唐王朝・藤原氏こそが、天皇の背後にあって実質的な支配者だったということになります。
 その『天照大神』は、同時に『武則天』をも意味しています。『私は今、その国を帰服させようと思う』といったような征服欲は、武則天の意思だともとれます。
 また、武甕槌命が稲佐浜で剣を突き立てて『天照大神は自分の子どもにこの国を治めさせようと言われているがお前の気持ちはどうだ』と『国譲り』を迫っていますが、この天照大神こそが、この日本征服を指令した武則天を意味しています。つまり、この列島の藤原氏の勢力にしてみれば、天照大神、すなわち、武則天の意思は絶対だということです。そして、『本当に西方の国を求めようと思うならば、天神や地神などあらゆる神を奉り、様々な捧げ物を大海に散らし浮かべながら渡って行くが良い』と、天照大神の大号令が発せられます。それに従い、皇后が海を渡っていくと、船は波のまにまに進み、追い風も盛んに吹き、波に乗って船は一気に新羅国の半ばにまで達したとあります。
 このように、天照大神により大陸侵略への指令が出され、皇后はそれに従って侵略に向かっています。この神功皇后も、皇后武則天とだぶります。武則天自身、朝鮮半島を征服していますし、武則天が帝位に就いていた時、697年には『神功』という年号を付けています。
 また、ここでは、大陸侵略に消極的な天皇は消されるかもしれないという、藤原氏からの『脅し』とも言えるほどの強烈な大陸侵略へのメッセージが残されています。
 恐ろしい事に、現実の歴史上にあっても、秀吉の時代、あるいは明治以後第二次大戦中まで、実際に大陸を侵略しています。
 その背景に、この記紀で述べているようなことがあるとしたら、かなり危険なことです。というのは、天照大神の大陸を征服したいという意思、あるいは仲哀天皇や皇后に大陸を侵略せよと出した指令が、その後撤回されたような話は出てきません。その意思や指令が、唐王朝・藤原氏の大陸回帰への宿願を意味しているとしたら、大唐帝国再興という彼等の大陸侵略への策動は、天皇がこの世に存在する限り途絶えることはないということにもなります。
 また、その『天照大神』は、全国の神社の頂点に立つ伊勢神宮で奉られています。つまり、『天照大神』は、わが国の最強の神と位置づけられています。
 そして、1960年代後半以降、現職総理大臣が毎年年始に参拝しています。庶民の『初詣』とは、訳が違います。仮に庶民と同様な「初詣」だとしましょう。それならば、他の神社でもその限りにおいては、可能なはずです。ところが、伊勢神宮に限定されているということは、全てはその祭神「天照」に起因しているということにならざるを得ません。政教分離を厳格に定める憲法と相容れないその行為が、はたして何を意味しているのでしょうか。
 そこにおいて、この国の最高権力者が、大陸侵略への号令を発している天照大神、つまり『武則天』への忠誠を誓っているとしたら、この列島の将来にとって極めて危険な動きだと言わざるを得ません。
 過去、その武則天の手下が、この列島を制圧してその後も支配し続けているので、その勢力は武氏、つまり武士です。唐王朝貴族の手下「武士」が、この日本の人々を制圧し続けたというのが、我が国の基本的支配構造です。
 平氏、源氏、北条、徳川、明治維新、政権交代などなど時代が変わったかのように思わせていますが、政権担当者の顔ぶれが変わっても、その支配者の手下が変わっているだけです。野球で言えば、監督が同じで、リリーフピッチャーが次々と変わるようなものです。その監督もピッチャーも、唐王朝の勢力の特権支配のみを追求し、庶民から散々富を吸い上げます。彼らの攻撃相手は、我が国の庶民なのです。
 この日本の人々が、唐王朝の勢力の支配下に置かれて、散々奴隷の如くに収奪されることに何ら変わりはありません。そうやって、この日本は、1300年変わることなく、唐王朝の支配下に置かれ続けています。それに気づかないようにしているのが、記紀認識です。
 邪馬台国をはじめ我が国の古代史の様々な謎は、我が国の歴史が唐王朝によって改ざんされたことを認識できなければ永遠に解くことはできません。また、今という時代を認識することも、自らの置かれている立場も理解し得ません。同時に、それは、永遠に日本の人々が唐王朝の勢力の支配下に置かれ、騙され収奪され続けることをも意味しています。
 一人でも多くの皆様が、真実の歴史に到達されることを切に願うばかりです。

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