わが国の歴史には、多くの捏造と改竄の軌跡が残されています。 そして、そのルーツは、唐王朝にありました。 唐王朝の勢力は、663年秋、この列島を占領し、藤原氏として後々までこの列島の人々を支配し続け、今に至っています。 さらに、彼らは、支配下にしたこの列島の歴史を、自らに都合よく作り変えました。 ですから、わが国の成り立ちの歴史は、架空の歴史認識によって教育がなされてきています。 それは、1300年続く洗脳教育とも言えます。 戦時中までは、その記紀認識が学校教育においても徹底されていました。 しかし、戦後、記紀認識が、教育の中心に位置することはなくなりましたが、では、記紀認識が間違いであったとも、訂正されたとも、あるいは、記紀認識を乗り越える新たな歴史認識が構築されたとも、それらのいずれにもなっていません。 基本的には、わが国の歴史認識は、記紀認識を肯定もできず否定もできずといった状況下にあります。 つまり、記紀認識が正しいなどとはとても言える様な認識ではないのですが、しかし、では、本当のところはどうだったのかということになりますと、それがよく分からないといったところを推移しているように見受けられます。 その記紀認識を乗り越えるためには、ある一つのキーワードを理解しなければなりません。 それは、先ほども述べましたが、『西暦663年秋、この列島が唐王朝に占領され、その支配下に置かれて今に至っている』ということが認識できるかどうかということです。 それが、わが国の歴史を理解する上では、根幹を為しています。 その基本的視点から歴史を検証していけば、次第に真実の歴史が見えてきます。 そういった検証に立って、現在到達した認識における歴史年表を作成いたしました。 この列島の歴史の流れが、大陸の動きとどういった関係にあったのかというところを重視しています。 また、その年次が改竄されているところは、直していますが、基本的には世界史年表として一般的に出ている年表とそんなに違いはありません。 ポイントとなるところを、どういった視点で見るかというところになります。 わが国の成り立ちの歴史を理解する上で、重要なところを中心としています。 また、この列島には、4つの大きな民族が大陸からやってきています。 『山戎、東胡、匈奴、鮮卑』 個々に少人数での渡来は、過去無数にあるのでしょうが、民族的な移動というほどの渡来としては、今に残されている資料の検証からは、この4つの民族がやってきているようです。 言ってみれば、わが国の歴史は、この4つの民族による戦いの歴史と言っても良いかもしれません。 そのあたりが、よく分かるように作成いたしました。 皆様の、歴史探索のお役に立てれば幸いです。 みんなで古代史を考える会 西山恒之 |
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