20、
「ねえ、お父さん何読んでるの?」
恒之が、図書館から借りてきた風土記を、居間で見ていると、由美が横にやってきた。
「風土記だよ。出雲の勢力は、鉄産業で、全国的に大きな勢力になっていたと思えるんだよ。それが、何に書かれているかとなると風土記だろうということで、図書館から借りてきたんだ」
「熱心ね、それで風土記にはどんなことが書かれているの」
「いくつかあるが、やはり、出雲風土記が一番詳しいよ。意宇、嶋根、出雲などの郡が9、郷は62、里は181、神社は399とあり、それぞれについて、また詳しく書かれているよ」
「他の国は、どうなの?」
「播磨、豊後、肥前、常陸の風土記があるけど出雲ほど詳しくはないかな。あと他の国についての資料もあるが、出雲は、全然違うよ」
「どうして出雲だけ、そんなに詳しいのかしらね」
「どうしてなんだろう。でも、古事記ほど神話は出てこないよ」
「ええっ、そうなの」
「最初に国引きの話があるんだけど、これは、古事記には無かったな」
「それ、聞いたことあるわね」
「新羅の岬に国の余りがあると言って、太い綱で手繰り寄せるんだ。でも、新羅からしてみれば、説話だとしても勝手に余っているなどと言って国を横取りするなよということになりそうな話だよ」
「きっと、新羅から来ている人が多かったのよ。望郷の思いもあったのかもしれないわよ」
「八束水臣津野の命が、出雲の国は、初めてできた国なので、小さいからと言って、杵築、狭田、闇見、三穂の埼など、引っぱってきては縫い付けたとあるんだよ」
「確かに、山に沿った狭い土地柄だからね」
「逸話だと言ってしまえば、まあ、それだけのことなんだけどね。その次に、大穴持命が、つまり大国主命が、ちょっとだけ登場しているよ」
「どんな風に」
「『自分が造って治めていた国は、天つ神のご子孫にお任せしてお譲りした。ただ出雲の国は、私が鎮座する国として、青々と茂り、垣のように囲む山々をめぐらして、守るであろう』と話しているんだよ」
「この前聞いた、国譲りの話ね」
「そうだよ。古事記の内容と一致しているよ」
「合わせたのかしら」
「通史では、712年に古事記が、翌年の713年に風土記が撰上されたことになってはいるよ」
「その年かどうかということはあっても、同じような時期なのね」
「そういうことだよ。古事記をふまえた上で書かれたのかもしれない。スサノオ尊も出ているよ。安来の郷で、この地に来て、『私の心は、安らかに静かになった』とスサノオ尊が言ったので安来になったとあるよ」
「暴れん坊ではないのね」
恒之は、その次に書かれていることに驚いた。
「ええっ! ほら、ここを見てごらん」
由美は、父の指し示す所を見た。
「『イザナギの命のいとし子でいらっしゃる熊野加武呂の命』とあるだろう」
「そうね」
「熊野加武呂の命とは、スサノオ命のことなんだよ。そうか、イザナギは、スサノオの父親だったんだよ。古事記の中で、イザナギが禊をして、天照大御神と月読命とスサノオが産まれるんだけど、それを逸話としか考えていなかったんだ」
「イザナギがお父さんなら、イザナミはお母さんということ?」
「そうだよ。ということは、熊野山もそういうことだったんだ」
「熊野山?」
「そうだ」
恒之は、昨年熊野大社に行った時に買った本を出してきた。
「今まで、これが理解できなかったんだ」
恒之は、その熊野大社が発行した本をめくった。
「熊野大社には上の宮と下の宮があったと書かれているんだよ。そして、古くは、『速玉(イザナギ)、事解男、イザナミの三神を奉る神社を上の社とし、天照大神、須佐之男命と他の八神をまつる神社を下の社とする。人々は、上の社を熊野三社と呼び、下の社を伊勢宮と言う』とあるんだ」
「何かよく分からないわね」
「だろう、お父さんも同じように何だろうと思って、読み過ごしていたんだけど、やっと理解できたよ」
「どういうことなの」
「出雲に於いては、スサノオ尊が最強の神だから一番上に奉られていいはずなのに、何故だろうという疑問があったんだよ」
「そうよね」
「イザナギ、イザナミがスサノオの親だとしたら、そして、スサノオが祭祀を司っていたとしたらどうする?」
「なるほどね。自分を親より上には奉らないわね」
「後世の人なら分からないけど、スサノオは、イザナギ、イザナミ、そして、事解男命を上の宮に奉り、自分は下の宮に奉るように命じたんではないかと思うんだよ」
「それだと、分かるわね」
「上の宮が熊野三社、つまり紀伊半島にも熊野三社があるだろう。熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、そして三重県に伊勢神宮がある。同じだよ、熊野三社が上の社で伊勢神宮が下の社なんだよ」
「奉り方が同じね」
「ニギハヤヒも父の祭祀の方法を踏襲したんだよ」
「ちょっと調べてみよう」
恒之は、居間にあるパソコンを起動させ、インターネットで熊野本宮大社のサイトを検索した。
「やはり、そうだ」
そこには、イザナミ、イザナギ、事解之男命、スサノオ尊、天照大神が奉られていた。
そして、本殿には、ニギハヤヒの父スサノオ尊が奉られている。
「他はどうかしら」
「そうだなあ。じゃあ、熊野速玉大社を見てみよう」
そこでは、イザナミ、イザナギが、熊野那智大社では、大己貴命が、主祭神として奉られていた。
「ニギハヤヒは、出雲王朝の祭祀に則って祖神を奉った。だから、そこにはニギハヤヒは奉られていない。彼自身は、奈良盆地が見渡せる三輪山に奉られている。そして、そこも、三神が奉られている」
「では、下の社である伊勢神宮はどうなっているのかしら」
「伊勢神宮かい」
恒之は、伊勢国の神社リストの中から皇大神宮(内宮)のサイトを開いた。
「やはり、言わずと知れた天照大御神が奉られているよ」
「他の祭神の名前は無いようね」
「では、豊受大神宮(外宮)を見てみようか」
パソコンの画面に、サイトが現われた。
「こちらも、豊受大神だけで他の祭神の名前は見当たらないわね」
「おそらく、伊勢にも他の出雲神が奉られていたはずなんだけどね」
「どうなったのかしら」
「全然名前が無いという事は、出雲の勢力が消されているということだよ」
「消されたの?」
「藤原平安朝の勢力に、伊勢の地が征服されてしまったんだよ」
「征服?」
「出雲が制圧されたように、伊勢も制圧されたんだよ」
「そうなのかなあ」
「おそらくね。そういう歴史は、きっと残されていないのだろうけどね」
「大国主命の『国譲り』の話があるんだから、伊勢にもあるかもしれないわよ」
「そんなの聞いたことないよ」
「じゃあ、無いのかもしれないわね。でも風土記には載ってないの?」
「風土記にかい、さあどうだろう。伊勢があるかなあ」
「はたして、載っているかしら」
恒之は目次をめくった。
「なんと、あったよ。逸文の中に伊勢国があるよ」
「どんなことが、書いてあるのかしら」
2人は、ちょっとドキドキしながら、その頁を開いた。
「まず国名の紹介があるよ。何が書いてあるんだろう」 恒之は、しばらく読んでいた。
「ええっ、信じられないよ。まったく同じだよ。古事記で出雲の制圧をした時と同じ手法で書かれているんだ。驚いたよ。まさか、ここまで同じとは」
「どういうことなの」
「ほら、ここを読んでごらん」
由美は、父からその風土記の本を受け取り、目を通した。
すると、そこに書かれていることには、由美も唖然としてしまった。
そもそも、伊勢の国は、天の日別の命が、平定した所だとあった。
神倭盤余彦、つまり神武天皇が、紀伊の国熊野から大和の国に入った時、天の日別の命に海の方にある国を平定せよと命じる。
天の日別の命が行くと、そこには伊勢津彦という神がいた。
天の日別の命が、「お前の国を盤余彦に献上しないか」と言うと、伊勢津彦は、「居ついて長い年月になる。勅命を受けることなどあろうか」と答えた。
そこで天の日別の命が兵を用いて殺してしまおうとすると、伊勢津彦は平伏して「この国は全て盤余彦に献上しよう。私はもうこの地にはいない」と答えた。
そして、「今夜、大風を起こして海水を吹き上げ、その波に乗って東国へ行こう」と言って、伊勢の地を離れることになった。
そこで、天の日別の命が兵を準備して様子を窺っていると、真夜中になって、大風が4方から起こり、波しぶきを打ち上げた。
その波が起こり光輝く様は太陽のようで、急に陸も海も明るくなった。
とうとう、その波に乗って伊勢津彦は東国へ立ち去った。
『神風の伊勢の国』というのは、このことを言ったものであろう。
また、伊勢津彦は、その後逃れて、信濃の国に行ったと伝える。
そして、天の日別の命が、神武天皇に報告すると、天皇は大喜びされ「国名は元の神の名を取って伊勢と言うのがよいだろう」と、伊勢の国となった。
由美は、その本を置いた。
「本当に、出雲と同じパターンよね」
「きっと、全国でそういうやり方をしたんだろう。服従すれば良し、しなければ殺戮して、制圧したということだよ。それが藤原平安朝のやり方だったんだろう。あるいは、同じようなことをされて、藤原勢力も大陸から逃れてきたのかもしれない」
「なるほどね」
「結局、出雲の建御名方命も伊勢津彦も信濃方面に逃れたことになるよ。信濃は、出雲と関係が深いのかもしれない」
「でも、風土記って古事記とよく似ているのね」
「そうだよなあ。監修藤原朝ということかな」
「そうだ、伯耆国についても、何か書いてないのかしら」
「伯耆国についてかい」
恒之が、目次を見ると逸文として伯耆国のことが載せられていた。
しかし、そこには、わずかに『粟嶋』と、『震動の時』とあったが、特に目を引くことは書かれていなかった。
「なんか伯耆の由来が書かれてないかと思ったけど、そういうことは載ってないよ」
「他にはないの」
「他にねえ。あっ、参考資料に『伯耆国号』とあるよ」
「国号ということは、きっと国名の由来のことよ」
「そうかもしれない」
恒之が、その頁をめくると3行ほどだが書かれていた。
「ええっ、母来国だって!」
「どうしたの」
「八岐のおろちの話の中で、母が遅れていたので、稲田姫が母よ来いと言ったから母来国となり、後に伯耆国となったとあるよ」
「それって、昨日、馬の山へ行った時に私が言ったことと同じじゃない」
「そうだよなあ。『ほうき』では、そうは思わないけど、『ははき』と聞いたら母来となるかな」
「やっぱり、元は母来だったのね」
「母来だとしたら、誰が来たのだろう」
恒之は、疑問に思った。
「誰って、稲田姫のお母さんじゃないの」
「八岐のおろちの話は、伯耆ではなく、出雲に近い場所での話だよ。母来の由来は、波々伎神社があるように、大陸からの玄関口であった橋津川の河口に、その母が来たということだよ。稲田姫のお母さんが、朝鮮半島からやって来る訳ないだろう」
「どうして?」
「絶対にあり得ないよ。おじいさんとおばあさんが一緒にいただろう。名前を名乗る時に国つ神と言っていたんだよ。天つ神が渡来の神であるのに対して、国つ神は、それ以前からこの国にいた神だということなんだ」
「では、誰なのかな」
「きっと、船でやって来ているはずだよ」
「それで国の名前が決まるほどの母と言ったらそうそういないよね」
「だとしたら、スサノオの母だよ」
「イザナミ命?」
「そうだよ。古事記の中で、スサノオは、泣いてばかりいて父イザナギ命に追放されているんだ。その理由は母の国に行きたくてだよ。スサノオが母を恋しがるということは、母と一緒にいなかった。つまり、スサノオの母は、遅れてこの国にやってきたんだよ」
「イザナミ命が、遅れてやって来た?」
「遅れてやって来たのは、稲田姫の母ではなく、スサノオの母イザナミ命だったのではないかな」
「イザナミ命がねえ」
「恋しくて、会いたくて堪らなかった母がやって来ることになり、スサノオは、嬉しくて迎えにも行ったのかもしれないよ。それで、近くに湊神社が建てられ、河口には、海の中の岩に鳥居まで建てられた。そういうことではなかろうか。湊神社の秋祭りでは、神輿が出て、鳥居周辺の海の中にまで入るんだ。以前は、神輿を乗せたかなり大きな祭船まで出たそうだ」
「へえ、そうなの」
「湊神社に行くと、その様子を写した写真も奉納されているよ。過去、朝鮮半島からは、きっと、多くの『母』がやってきたんだろう。でも、神社にその名残が残されたり、国の名前にまでなるとしたら、それはごく限られてくるよ」
「そうよね」
「『ここは、安らかな気持ちになる』とスサノオが言うだけで『安来』と名前がつけられたんだ。大切な母が来て、『母来』とつけても不思議はないよ」
「なるほどね」
「それに、今、気づいたんだけど。安来の南に母の里と書いて『母里』という地名があるんだ。そして、『母里』は、出雲国と伯耆国の境に位置するんだ」
「それが?」
「古事記で、イザナミ命は、亡くなって何処に埋葬された?」
「黄泉の国だったよね」
「それは、何処だった?」
「そうだわ。出雲国と伯耆国の堺に葬られたとあったわ」
「どういう事情か分からないが、父イザナギ命とスサノオ命は、先にこの国にやって来ていた。しかし、まだ幼かったスサノオ命は母恋しさに泣いてばかりいた。そして、遅れてやって来ると分かった母を、スサノオ命は、大いに喜び橋津川河口まで迎えにやってきた。そして、お祭りのように歓迎して、一行を迎えた。そして、母イザナミ命は、母里に住まいを構えた」
「まあ、よくそこまで話が造れるわね」
「そして、母一人で来るわけないだろう。しっかりとした付き添いもいたはずだよ」
「誰が?」
「それが、熊野山にも奉られた事解男命ではないだろうか。つまり、イザナミ命のお父さんだよ。スサノオ命は、母を連れてこの国までやって来てくれた祖父も、しっかりと奉った。そう思わないかい」 「そう思わないかいと言われてもねえ」
「事解男命は、他にはそんなに登場しないけど、熊野大社の上宮で、イザナギ命、イザナミ命と一緒に並んで奉られるとしたらそうなってくるんだよな」
「イザナギ命のお父さんではないの?」
「イザナギ命の父親がイザナミを連れて渡航してくるとは考えにくいよ。まあ、どちらにしても、想像の話だけどね」
「風土記にも、いろいろと興味深いことが書かれているのね。でも、出雲は、まだまだ謎めいているわね」
「出雲大社がどうなっているのか、いよいよ、ここが焦点になってきたよ」
「早く行ってみたいね」
「撮影もしたいから、天気次第だよ」
2人は、天候が良くなることを願うばかりであった。
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邪馬台国発見
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