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万葉紀行
由美と行く 

16、

 神倭伊波礼毘古命は、兄五瀬命とともに東を目指し日向を出発し、途中、豊国の宇沙に立ち寄り、筑紫で1年、安芸国で7年、吉備で8年逗留する。
 その後、浪速の渡りを経て白肩津に停泊した時、待ち構えていた那賀須泥毘古の軍勢と戦いになった。
 その戦いで、兄五瀬命が痛手を負い、「日の神の御子として日に向かって戦うことは良くない」として、紀伊半島を南に迂回して、日を背に受けて戦うことにした。そして、向かう途中、紀の国の男之水門で五瀬命は亡くなった。
 迂回して熊野に着くが、大きな熊の毒気に当たり、皆が気を失って倒れてしまう。その時、熊野の高倉下が、建御雷之男神から授かった一振りの太刀を献上すると、伊波礼毘古命は、たちまち正気に戻り、熊野の山の荒れすさぶ神は、ひとりでにすべて斬り倒され、倒れていた軍勢も皆正気に戻り起き上がった。
 その後、八咫烏の先導で吉野を越え、従わない者を打ち払いながら進んでいくと、邇芸速日命が現れ、神宝を献上して天つ神の御子に仕えたとしている。そして、畝傍の橿原宮で天下を治めた。

 中巻と下巻には、この神武天皇以後33代推古天皇に至るまでが記されている。その中には、出雲の神や新羅など朝鮮半島に関わる記述が出てくるが、そこには藤原平安朝のそれらに対する基本的な視点が現れているように恒之には思えた。
 現在、普通の家庭に於いて、自分の祖先をどこまで遡ることができるだろう。現代に生きる私たちは、百年以上も遡る先祖を、日常においては特に意識すること無く過ごしており、精々お墓参りの時に、振り返るのが普通ではなかろうか。
 ならば、七世紀から八世紀にかけての激動の時代を制した藤原平安朝でも、そういったことがあっても不思議ではない。天皇家においても、何代か経ると経過が分からなくなるといったことが生じてくる。だが、彼らにとっては忘れてはならない過去の歴史がある訳で、しかし、それをストレートには書けないので、いろいろな逸話のようにして残そうとした。それが、古事記ではなかろうか。いわゆる表に出せない、内部資料的な記録である。だから、他の文献に記録されることもなかった。
 恒之が、古事記についてそんなことを考えていると洵子が上がってきた。

 「今夜も古事記なの、頭の中が古くなっていかない?」
 このところ恒之が、毎日、古事記を見ているので、洵子が可笑しそうにしている。
 「まさしく、温故知新。今時、古事記や日本書紀を読む人なんかそんなに居ないだろうなあ。それが普通だと思うよ。ところが、これを読むと、今でもまだこの時代の歴史認識のままでいる、スーパー頭の古い人たちがいるのが分かったよ」
 「ええ? 何のこと」

 「最近、よく歴史認識ということが言われるだろう。現代における国際的な到達点としての歴史認識ではなく、依然として戦時中の歴史認識のままだとかね」
 「そうね、それが外交問題にもなっているわね」
 「ところが、その古い歴史認識は、戦時中どころか、はるか平安朝にまで遡るということが分かったんだよ」
 「平安朝にまで?」
 「普通、まさかそんなことなんかあり得ないと思うだろう。ところが、未だに千数百年前の歴史認識のままでいる、化石のような人たちがいるんだよ」

 「そんな人がいる訳無いでしょう」
 「今でもこの国には、天皇制にしがみついている勢力があるだろう。そういう人たちは、この古事記の考え方を引き継いでいるんだよ」
 「本当にそんなことがあるのかしら」
 「古事記に隠されている本当の姿が明らかになれば、天皇制そのものの根拠が問われることになる。そうならないように、必死に隠し続けているというのが、今の状況なのかもしれない」
 「なるほどね」
 「考古学も含めて、古代史学も日々研究が進み、新たな発見も出てくる。そうなると、現在の天皇制にとって都合の悪いこともどんどん出てくる。それらを封じ込めることが、彼らにとって最優先となっているように思えるよ」
 「『国民に親しまれる天皇家』が、演出されているようには見えるわね」
 「今後、その存在そのものが問われてくるかもしれない」
 「なかなか難しいことよね」

 「古事記の中・下巻を読んでいると現代にも通じるものを感じるよ」
 「現代に?」

 「ああ。まずは、出雲の勢力についてだけどね、それを悪く言うのが徹底しているよ。いわゆる後の神武天皇が紀伊半島を迂回して熊野から侵入する時、大きな熊に出会い、その毒気に当たり一同が気を失うとあるんだ。熊が毒気を出すわけはなく、つまり、熊野とは、紀伊半島における出雲の拠点だからそういう表現をしているんだよ」
 「それは徹底しているわね」

 「その他、崇神天皇の段にも出てくるよ。この天皇の時代に疫病が大流行して、人民が死に絶えようとしていた。その時、天皇の夢の中に、大物主神が現れて『これは、私の意思によるものだ。だから、意富多々泥古(おおたたねこ)をして私を祭らせるならば、神の祟りによる病も起こらず、国もまた安らかであるだろう』と言った。そこでその意富多々泥古を探し出して、大物主神を奉る三輪山で意富美和之大神(おおみわのおおかみ)を拝み、さらに天神(あまつかみ)と地祇(くにつかみ)を祭る神社を定め奉ると、疫病はすっかりやんで、国家は平安になったとある」
 「崇りね」
 「そう。当時は、崇りを相当恐れていたから、これは、出雲の崇りに怯えていたことを表しているんだろう」
 「忘れてはならない祭り事なのね」
 「天皇家では、11月に出雲の神を奉る行事をしているという話も聞いたことがあるよ。天皇家にしてみれば、今でも相当気を使っているはずだよ。なんと言っても、軽視していると祟られてしまうかもしれないからね」

 「今も?」
 「崇りの話は、まだあるよ。垂仁天皇の御子は、大人になるまで物が言えなかった。その天皇の夢にも神が出てきて『私の宮を天皇の宮殿と同じように整えたら、御子は必ずきちんと物を言うだろう』と言った。その夢は、出雲大神の御心によるものだと、御子を出雲に参拝させた。すると、その御子は言葉が話せるようになり、出雲の宮殿を新しく造らせた」
 「相当、出雲の崇りが怖いみたいね」
 「騙し打ちなど、酷いこともしているんだよ」
 「騙し打ち?」
 「倭建命の話は聞いたことあるだろう。天皇に服従しない熊曾建の兄弟を討ち取りに行くんだよ。ところが、軍勢に囲まれていて中に入れないので、倭建命は、祝宴の時、少女のように髪を結い、女装をして紛れ込んだ。その兄弟は、倭建命が女性だと思い、油断をして二人の間に座らせた。そして、宴もたけなわの頃、倭建命は、懐から剣を出して兄弟を刺し殺してしまった」
 「それは、聞いたことあるわね」
 「その次は、出雲国に入り出雲建の殺害を計画するんだ。まずは、出雲建と親しくなり、その一方では、木で偽物の太刀を作る。倭建命は、それを身につけて出雲建と一緒に肥河で水浴びをするんだよ。そして、河から先に上がって、出雲建の解いて置いてある太刀を身につける。そして、『太刀を交換しよう』と言って、出雲建が偽物の太刀を身に着けると、さらに倭建命は、『さあ太刀を会わせよう』と言うんだよ。それぞれが、太刀を抜こうとするが、出雲建の持っている太刀は偽物だから抜くことができなかった。倭建命は、すぐさま、持っている太刀を抜いて出雲建をうち殺してしまった」
 「酷い話ね」
 「油断させておいて、だまし討ちにするというのがこの古事記の基本だよ。他の場面にも出てくるよ。まるで、権力者としての基本だと言っているみたいだ。そして、この基本方針は、今の時代にも引き継がれているようにも思えるよ。その後に、倭建命は、『出雲建が腰につけていた太刀は、鞘に飾りがたくさん巻いてあって立派だが、刀身がなくて、ああおかしい』と、出雲建をあざ笑うかのように歌っているんだ」
 「何よそれ、最低。酷いなんてものじゃないわね」
 「そして、『服従しない者を討ち払いました』と天皇に報告すると、次は東国を平定せよと天皇が命令を出すんだよ」
 「倭建命って、征夷大将軍みたいよね」
 「こういった血塗られた過去を忘れるなということだろう。崇りに怯えるのも無理はないということかな。新羅についても都合良く書いているよ」
 「新羅を?」
 「仲哀天皇の段で、天皇が神のお告げを請い求めると、『西の方に国があり、金銀をはじめとして、目もくらむような種々の珍しい宝物が、たくさんその国にある。私は今、その国を帰服させようと思う』とその神は答えた。つまり、朝鮮半島を征服せよと命令するんだよ」
 「ずいぶんと横暴勝手な神ね」
 「ところが、その天皇は『国土は見えず、ただ大きな海があるだけです』とその神の言うことに不信を持ち、知らん顔をして琴を弾いていたんだよ」
 「その天皇も神をも恐れぬ大胆な天皇ね」
 「ちょっと面白い天皇だろう。そして、その神を無視していたら、その神は怒って『およそこの天下は、お前の統治すべき国ではない。お前は、どこか一隅に向かっているのがふさわしい』と言うんだ」
 「神が、無視されて怒ったのね」
 「そうだよ、笑えてくるだろう。でも、その天皇は、さらに無視したまま琴を引き続けるんだ」
 「すごいわね。神がなんだって開き直っているみたいね」
 「ところが、その天皇は、琴を弾きながら絶命してしまうんだよ」
 「神の逆鱗に触れて、消されたのね」
 「驚き恐れて、皇后がまたその神にお告げを請うんだ。すると、その神は『この国は、皇后の胎内にいる御子が統治する国だ』と言い、さらにその御子は『男子である』とまで言うんだよ」
 「そこまで分かるとは、すごい神ね」
 「まさしく神わざだよ。それで、『今こうして教えをさとす大神は、いずれの神であるのか、その名前を知りたいと思います』と聞くんだ」
 「そう、それは知りたくなるわね。それで、その神はなんて言ったの」
 「恐れ多くも『これは天照大御神の御意志である』と言うわけだよ」
 「天照大御神? あの越権行為の神がまた登場するのね」
 「そして、今、本当にその西方の国を求めようと思うならば、天神や地祇などあらゆる神を奉り、様々な奉げる物を、大海に散らし浮かべながら、渡っていくがよいと大号令を発するんだ」
 「まるで総大将ね」
 「そして、皇后は、海を越えて渡って行った。そうして、船は波のまにまに進み、追い風が盛んに吹き、波に乗って船は一気に新羅国の半ばにまで達した」
 「すごい勢いね」
 「これを見て、新羅の国王は、『今後は、天皇の命令に従い、御馬飼(みまかい)として終わることなくお仕え申し上げましょう』と言ったとあるんだよ」
 「なるほど、都合良く書いてあるわね」
 「これによって、新羅は大和政権の御馬飼いになり、百済は屯倉(みやけ)つまり直轄地になったということだ」
 「そんなことないわよねえ」
 「あるわけ無いよ。いわゆる新羅コンプレックスかな。新羅に滅ぼされた怨念と、再び朝鮮半島を支配したいという願望の現われだろうか」
 「かなり、新羅に敵対心があるようね」

 「その後にも、允恭天皇の時代に新羅の国王が船八十一隻に積んだ貢物を献上したとあるけど、とにかく朝鮮半島を目下に表現したいようだ。この列島は、大陸から逃れてきた人たちの逃避場所のようなものだから、大陸から朝貢に来るなんてありえない話だよ。何らかの交流はあったかもしれないけどね」
 「そんなにも、新羅を意識していたのね」
 「桓武天皇の時代も含めて、平安朝が2回唐に朝貢使つまり遣唐使を送っているよ。それが、実体だよ」
 「そんなにも虚勢を張らなくてもいいのにね」
 「ところが、この皇后が朝鮮半島に攻め入った話は、きわめて恐ろしい内容が背後にあるんだよ」
 「ええっ、何が?」
 「まずは、天照大御神が、西方諸国を支配したいという意思を持っていて、天皇にそれを実行せよと命じているということだよ。そして、その命令を疎んじるような天皇は、命をも奪われるという強力なメッセージが発せられている」
 「それって、あまりに危険よね」
 「それに、もう一つは、天皇以上に実権を握っている者がいたことも意味しているんだよ。その意思に反すると、天皇とて命が危ないよと言っているようなものだよ。天照大御神の意思だと言えば時の天皇すら動かすことができる。つまり、当時の天皇は、今で言うところの象徴的存在になっていたのかもしれない」
 「天皇以上に実権を握っていた者って?」
 「それは、藤原氏以外には考えられない。その後の歴史も、藤原氏のように天皇制を掌握した者が実質的な支配者となっているよ。つまり、天皇という神輿を藤原氏が担いだということだ。天皇は担ぎ手の赴くままだよ」
 「そうなの」
 「桓武天皇は百済系と言われているが、藤原氏はそうではない。もしそうなら、百済が屯倉に描かれることはないよ。結局、大陸から祖国を追われた者たちが、手を結んだということかもしれない」
 「どこからきたんだろうね」
 「天智天皇と天武天皇の二人にだけ『天』の文字がつけられているだろう。これは、天降った天皇を意味するとも言われているよ」
 「天降り?」
 「今でも、使われているだろう。つまり、この列島の生まれではないということだよ」
 「天皇家や藤原氏は、本当はどこからやってきたのかしら」
 「奈良の春日大社に鹿島神宮から白鹿がやってきたという話もあるんだ。そして、藤原氏の奉る建御雷之男神は、鹿島神宮にも奉られている。つまり、藤原氏は、東国からやってきたとも考えられる。そして、東国は、唐と新羅に滅ぼされた高句麗から来た人が多いと話したことがあるだろう」
 「そうだったわね」
 「だから、藤原氏は、高句麗出身ではないかとか、あるいは、金官加羅など他の新羅に滅ぼされた国だとか、いろいろ考えられるんだよ。でも、結局、藤原氏の出自は、よく分かっていないというか、むしろ、隠されているようにも思えるよ。桃太郎のようにね」
 「藤原氏の出身なんか、どうでもいいように思うけどね」
 「ところが、建御雷之男神の働きに見られるように、藤原氏は、他の勢力を服属させて平安朝の基礎を作り実権を握った。そして、その藤原氏の都合の良いように古事記や日本書紀が書かれていたとしたら、単に過去のどうでもいい話では済まなくなるんだよ」
 「どういうこと?」
 「まず、この古事記は、天皇家について書かれているように見えて、実は、天皇家の視点では書かれていないように思えるんだよ。誰が古事記を書いたのかを、よく考えてみてごらん」
 「そんなの、分からないわよ」
 「この天皇家の背後にいて、天皇以上に実権を持っていた者の目で書かれているように思えるよ」
 「そうなの」
 「でなければ、天皇家と関わりの深い百済が屯倉に描かれはしないだろう。それに、仲哀天皇が、西方の国を帰服させよという神のお告げを聞き流していたら、琴を弾きながら絶命するんだよ。天皇家からしたら、こんなことどうして書くんだと思うような話だろう。きっと、逸話だとしても歓迎されないよ。天皇家以上に絶対的権力を持つ者だからこそ書けた内容だと思えるよ」
 「なるほどねえ」
 「その後、『こうして教えをさとす大神は、いずれの神であるのか』と、その神の名前を尋ねる場面があっただろう」
 「ああ、あったわね」
 「その時、『これは天照大御神の意志である』と言っていただろう」
 「そうだったかな」
 「つまり、『私は、天照大御神である』とは言っていない」
 「じゃあ、天照大御神は、西方の国を征服しろとは言ってないということ?」
 「天照大御神自らの言葉であるかどうかは分からないよ。『意志である』ということは、伝える者にしたら天照大御神が言っているということにしたいのだろうが、あくまで伝達者の言葉でしかない」
 「ええっ、すると、天照大御神の背後にも誰かがいたということになるわよ」
 「つまりは、そういうことなのかもしれないよ」
 「ということは、誰の意志になるの?」
 「だから、結局、どの天皇も、この古事記を選定するように言ってないから、序文に天皇の名前が記されてないんだろう。それを選定するように過去の天皇が言ったように見せかけ、実在もしない人物が献上したように描いた。となると、古い文献に、藤原朝が記した『新しい古事記』が、記録されるはずはない。つまり、この国と民を支配する為に、藤原氏が、天照大御神や天皇家を利用していただけという構図が見えてくる」
 「天照大御神や天皇家を利用?」
 「天皇家を立派に思わせ、その意向に服さない者は、徹底的に排除する。天皇家も『天照大御神の意志』に反するようなことはできない。つまり、一番の権力者は、別にいたということになる」
 「隠れた権力者がいたということね」
 「隠れていたわけでもないが、藤原氏は、大陸で再び支配勢力として復帰することを天照大御神の意思として子孫に託したとも考えられる。その後、幾たびか、そういったことが実行に移されている。そして、伊勢神宮と天皇家を崇拝している勢力は、未だにその強い影響下にあると考えざるを得ない」
 「未だに?」
 「そうなると、朝鮮半島や大陸の人たちと仲良くできるはずがないだろう。つまり、西方諸国を服属させようという、危険な考えを持ちながら友好関係など築けないということだよ」
 「なるほどね、なんか今の外交の姿が見えてくるようね。表向きには、友好関係を口にするが、実のところは征服を目指しているのかもしれないということね」
 「その大元に、藤原平安朝の、朝鮮半島や大陸に対する思いが影響しているとしたら、この国の歴史認識は平安朝に遡るということになるわけだ。あるいは、未だに藤原氏が政権の中枢にいるようなものだよ。さらに、そこへ現代の経済団体やアメリカの思惑などもからんでいるのかもしれない。つまり、古事記は、当時も今も権力者にとってのバイブルなのかな」
 「だから、『スーパー頭の古い人たち』というわけね」
 「それと、朝鮮半島や中国との交流が深まると、今の天皇家や藤原氏の出自が明らかになってしまうかもしれないと危惧している可能性もある。彼らにとっては、絶対に避けなければいけないところだ」
 「未だに、新羅に滅ぼされた国から来た過去を隠し通さなければいけないなんて、信じられないような話ね」
 「そうだよなあ。つまり、桃太郎が、実は桃から生まれたのではなく、鬼も実は鬼ではなく、本当は桃太郎が鬼だったとばれるまでは、桃太郎は桃太郎のままでいられるということだ」
 「でも、こんなこと、多くの人は知らないよね」
 「そうだよ、ほんの少し前までは、僕も全然知らなかったことだよ。少し関心を持って調べれば、すぐに分かることなんだけど、そういうような機会も無いし、巧妙に分からないようにしてあるから、普通は気づくことなどまず無いよ」
 「古代史は、ただ単に過去のことではないのね」
 「そういうことかな。ところで、由美は、二月になったら帰って来るように言っていたけど、いつ帰ってくるんだろう」
 「さあ、中頃には帰るように言っていたみたいよ。どうかしたの」
 「近いうちに、山陰の史跡を訪ねてみたいんだけど、きっと由美も一緒に行くだろうと思ってね」

 「史跡?」
 「そう、近年、いろいろ遺跡が発掘されているから、まずそういった事実を自分の目で見るということが一番大事なことだよ。その時には、一緒に行ってみないかい」
 「そうねえ、私は遠慮しておくけど、由美はどうかしらね」
 「きっと行くと言うよ」
 例年になく寒さの厳しい冬であったが、立春を迎えて、次第に穏やかな日が出てきていた。
 恒之は、今年の古代史探索として、まず近くから史跡巡りを始めようと考えていた。


   

          





                       

     邪馬台国発見

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