15、
天照大御神は、突如、葦原中国を我が子の天忍穂耳命が統治する国だとして、高天原から天忍穂耳命を降らせた。
ところが、天忍穂耳命は、葦原中国はたいへん騒がしい状態だ、と言って戻ってくる。
そこで、神々は相談して天菩比神を遣わすが、大国主命に媚び付き、3年になるも復命しなかった。
次は、天若日子に決まった。
その天若日子には、天の弓と矢が授けられたが、大国主命の娘を娶り、8年になるも復命しない。
そこで、雉を遣わして復命しない理由を問いただす事になった。
雉は言葉通りに伝えるが、天若日子は、その雉を天の弓矢で射殺してしまう。
ところが、その矢は高天原まで届き、天若日子は逆にその矢で射殺された。
天照大御神は、また八百万の神々と相談し、建御雷之男神を、天鳥船神とともに遣わすこととした。
こうして、建御雷之男神は、出雲国伊耶佐の小浜へ降りつき、剣を砂浜に突き立て、大国主神に「天照大御神の仰せで、お前が領有する葦原中国は、わが御子の支配する国であると委任なさった。お前の心はどうか」と尋ねる。
これに対し、大国主神が八重言代主神に尋ねたところ、八重言代主神は「この国は、天つ神の御子に差し上げましょう」と言って隠れてしまう。
そこに、もう一人、建御名方神が帰ってきたが、建御雷之男神に投げ飛ばされ、建御名方神は、科野へ逃げ去る。
建御雷之男神は、大国主命に「お前の子ども、事代主神と建御名方神は、天つ神の御子の仰せに従って背くことはないと申し終わった。それでお前の心はどうか」と尋ねた。
これに対し、大国主神は答えて、「私の子どもが申すことに従い、私は背きません。この葦原中国は、仰せのままにすっかり献上いたしましょう。ただ、私の住みかだけは、高くそびえさせてお祭りくだされば、私は、この出雲に隠れておりましょう」と申した。
こうして、天忍穂耳命の子邇々芸命が、筑紫の日向高千穂霊峰に天降ることになった。
その邇々芸命の孫が、五瀬命、神倭伊波礼毘古命である。
ここで上巻が終わる。
この後、中、下巻に渡って、神倭伊波礼毘古命、つまり初代神武天皇から33代推古天皇に至るまでの天皇が、逸話も織り交ぜながら紹介されている。
恒之は、この古事記のもつ意味は、どこにあるのだろうとしばらく考えていたが、その時、洵子が部屋に入ってきた。
「明代が、本当にどうなるのか心配よね」
「難しいところだよ。だめだとも思えないが、かと言って、大丈夫だろうなんてとても言えないなあ」
自分ではどうすることもできないもどかしさが、二人の心に重くのしかかっていた。
「こんな時に、古代史なんかよくやってられるわね」
「由美の大学受験の時に、あまり気にし過ぎて胃を悪くしたから、あの時に悟ったんだよ。そんな時は、他のことをできるだけ考えるようにしないと体に良くないとね」
「そうかもね。私、最近、なんか気が滅入ってきているのよ」
心配の度合いは、今の明代の方が大変なのだが、恒之は、由美の時のことがあったので、できるだけ考えないようにしていた。
「ところで、古事記の目的とするところがようやく見えて来たよ」
「気分転換に話を聞けということね。まあそれもいいかもね」
「そういうこと。どうも、古事記の目的は、自分たちの出自を誤魔化し、出雲の勢力を征服したことや、自らの支配を正当化するところにあると考えられるよ」
「自分たちって?」
「桓武天皇以降の平安朝だよ」
「えっ、古事記ってもう少し前に作られていなかったかしら」
「通史では、712年に作られたことになっているよ。古事記の序文に和銅5年に献上されたと記載があるからそうなっているんだろうけど、でも今に残っている古事記は、平安朝の頃に作られたものだよ」
「へえ、そうなの」
「あるいは、712年に初版本が作られていたのかもしれないが、それは残されていないからなんとも言えないよ」
「でも、どうして彼らが出自を誤魔化さないといけないの?」
「この列島の生まれではなく、朝鮮半島からやってきた人たちだからだよ」
「でも、そんなこと言ったって、日本の国民のルーツをたどれば、殆ど大陸や南方からやってきているんでしょう」
「そうだよ。でも、それを絶対に言えない事情があったんだよ」
「言えない事情?」
「そう、口が裂けてもね。当時、朝鮮半島は、新羅が統一していたんだが、それまでには百済、高句麗、加耶、金官加羅、等々いろいろな国があったんだよ」
「そうね」
「その滅ぼされた国の王や人々は、どうなる?」
「殺されるか、逃げるかよね」
「だろう、あとは残って奴隷のようにこき使われるかだよ。そうなると普通は逃げるよね。何処にだろう、この列島にだよ」
「それは、十分考えられるわね」
「それまでは、列島各地でそれぞれが、平和的にかどうかわからないけど住み分けていた。それが、お国言葉という方言や地名として今に伝えられているんだよ」
「なるほどね」
「その地名も、延喜式で地名は漢字二字で表記せよとなったものだから、当て字がされたんだよ。駒が岳、駒沢、狛江など高句麗のことは『こま』と言われるから関東のあたりには、高句麗から来た人が多かったのかもしれないよ」
「読みにくい地名が多いのは、そういうことが原因だったのね」
「そうなるとだよ、自分たちの祖先は、祖国を追われてこの列島に流れてきましたと書かなければならなくなる」
「ちょっと、かっこ悪いわね」
「開拓精神でやってきたならまだ書けるだろうけど、今朝鮮半島を支配している新羅にやられた誰々の末裔ですなんて言えたものではないだろう」
「書けないわね」
「ましてや、この列島の支配者であるとしたら尚更だよ。権威も何もあったものじゃないよ。支配力なんか一気に低下しちゃうよ」
「そうね」
「ところが、この列島には大陸や南方、あるいは遠く中東、ペルシャのあたりからもたどり着いているそうだよ。パレスチナのあたりでは、日本にある苗字と同じ苗字の人もいるそうだ」
「そんな遠くからも来ているの?」
「そう、チグリスユーフラテス河のあたりに栄えた古代シュメール文明からも来ているという説もあるよ。天皇のことを『すめらみこと』と読んでいるだろう。すめらのみことは、つまりシュメールの王という意味だと言う人もいるくらいだよ。中東の遺跡には、天皇家を象徴する十六弁菊花紋があちこちに残されているよ」
「この国のルーツは、中東にまでたどり着くのね」
「それくらい、いろいろな国から多くの民族が流れてきていた訳だよ。だから、それをみな書くと訳が分からなくなるので、高天原にまとめたと言えるかもしれない」
「なるほどね、それは考えたわね」
「しかし、出自を誤魔化した一番の動機はそれを言えないことにある訳だ。つまり、戦いに敗れて、大陸から逃れて来た負い目があるんだよ。ところが、驚くべきことに、彼らは、それを逆に立派に見せかけることに成功したんだ」
「どうやって?」
「当時、大陸は今で言う先進国だよ。あらゆる文化や技術は、大陸からもたらされていた。つまり、わが国の人たちは、昔も今も舶来品に弱いということだよ」
「なるほどね」
「そういう土壌のもとで、高天原という天の偉い神様の末裔だとすることで、『立派』な血統に仕立て上げたわけだ」
「すごいわね」
「所詮は、欺瞞に満ちた歴史なんだけどね。でも、とりあえずは、出自を誤魔化すことはできた。ところが、彼らにはもっと大きな難題があった」
「難題?」
「この列島は、出雲の勢力が一杯に溢れていた。それを奉る神社も全国津々浦々にあるわけだよ」
「今でもたくさん残っているわね」
「以前は、今より、もっと多くあったんだけど、一部落に一神社とされていくつもあった神社が各集落で一つにまとめられた。だから、いくつもの神が一つの神社で奉られることになったんだよ」
「なるほど、それでいくつもの神様の名前があるのね」
「ところが、いくら自分たちが立派な血統だと言っても、『所詮は出雲の神様には及びませんよ』となってしまう。なんと言っても歴史が違うからね」
「そうよね」
「そこで、出雲の歴史を取り込んでしまうことにした。消し去ることはとても出来ないとみたんだろう、だから徹底的に出雲神を貶めて支配下に入れてしまった」
「確かに、須佐之男命はとんでもない暴れる弟神にされているよね」
「天武天皇が、天智天皇の弟にされているのも、似たような手法なのかもしれない。天武天皇も新羅系だと言われているよ」
「さあ、どうなんでしょうね」
「須佐之男命や、大国主命の兄弟の神々など、出雲の神々はなんてひどい神なんだと描かれている。その上、伊耶那美命が、亡くなった時に、出雲国と伯耆国の間に埋葬されて、伊耶那岐命に『醜い汚れた国に行っていたものだ』と禊をさせている。神だけでなくその地域までも徹底的に卑下している」
「そういう思惑があったからなのね。どうして須佐之男命があんなに悪く書かれているのか、そこまでは考えてもみなかったわ」
「須佐之男命の頭には、虱や百足が一杯いるんだよ。もう、気味が悪いというかまるで妖怪並みだよ」
「最近は、妖怪も親しみを持たれているわよ」
「そこまで貶めておいて、だから出雲はこんなにも悪いから、滅ぼしても当たり前だと描こうとしたんだよ」
「でも、大国主命は、兎を助けて立派な神様に描かれているわよね」
「それも思惑あってのことだよ。そんなやさしい大国主命なのに、多くの兄弟の神や須佐之男命は、大国主神を徹底的にいじめる酷い神だとなる。大国主命がいい神であればあるほど、須佐之男命や他の出雲の神は、悪く描けるというわけだよ。聖徳太子と蘇我氏の関係なんかもそうだよ」
「なるほどね、でも、それってやり方が卑怯よね」
「権力者の常套手段かな。大国主命を立派に描くにはまだ理由があるんだ」
「まだあるの?」
「そう。そんな立派な大国主命が、治めていた国を自ら献上すると言うんだから、何も問題ないだろうという訳だ」
「国譲りの話ね」
「そう、とんでもない話だよ。高天原をまかされていたはずの天照大御神が、突如、地上界の支配を言い出すんだ。まったくの侵略行為だよ。それも、刀を突き刺して、譲るのか譲らないのかと建御雷之男神が言うんだ。もう、殆ど脅しだよ」
「ちょっと、それは酷い話ね」
「伊耶佐の浜で剣を突き立てたとあるけど、実際は、きっとその浜で大国主命に相当するような人や多くの人たちが殺されたんだろう」
「そうなの」
「大国主命が建ててくれと言ったから大きな社が建てられたとなっているが、本当はあの浜で殺された人の崇りを恐れて、鎮魂のために建てたのだと思うよ。それが今に残る出雲大社だよ。その近くに、今でも稲佐の浜があるよ」
「だからあの場所に建てられたの?」
「その本殿は南を向いているのに、中にある神座は稲佐の浜のある西を向いているんだよ。神座が横を向いているって変だろう。その殺された人たちの方に向けられていると思えてならないんだ」
「出雲大社に秘められた謎かしら」
「侵略者によるまったく道理の無い殺戮だから、その怒りや祟りは相当なものだと考えるだろう。きっとその祟りを恐れて大きな神社を建てたんだよ。今よりかなり大きかったそうだ。当時の柱の跡も最近見つかっているよ」
「そういう迫害から逃れて、多くの人が遠く本州の北のはずれまで逃げていったのね」
「きっとね。そして、さらに執拗に追いかけていった。それが、征夷大将軍だよ」
「本当に、恐ろしいわね」
「それが、権力者の本性だよ。服従しない者には、刺客を送り徹底的に潰す。今でも同じだよ。そしてそれを、正当化し美化したのが古事記というわけだ。今は、マスコミがその役割をしっかりと引き継いでいるよ」
「ただの神話だと思っていたのに、そんな背景があったのね」
「ちなみに、その出雲の征伐に行った建御雷之男神は、奈良公園にある春日大社で奉られているんだよ」
「そう、それが何か」
「春日大社は、藤原不比等が建てたと言われている。その後、平安朝で藤原氏が栄華を極めたということは、当時の中心的存在だったということだろう。そうなると、当然、古事記にもそれが、反映していると考えられるよ」
「どんなふうに?」
「高天原から出雲に、いわゆる刺客が送られるんだが、ことごとく失敗に終わるんだ。それだけ、出雲の勢力が強かったということもあるが、あるいは、建御雷之男神の力を見せ付けるための演出なのかもしれない」
「そんなに重要な役割を、その神が果たしたということなの?」
「建御雷之男神が、出雲を征伐しなければ古事記は成り立たないよ。つまり、建御雷之男神の働きがあったからこそ、葦原中国に邇々芸命が天降ることができ、神武天皇に繋がる。従って、天皇家が存在できるのは、建御雷之男神のお陰だということになる」
「じゃあ、一番の功労者じゃないの」
「そうだよ、高天原から勅命を受けて、建御雷之男神は、天鳥船神というお供を連れて荒ぶる出雲の神々を征伐して、また高天原に凱旋し出雲を服従させたと報告するんだよ。古事記の中では一番の英雄かもしれないよ」
「そして、その神は、藤原氏が奉る神なのよね」
「つまり、藤原氏あっての天皇家だと言っているようなものだよ。なんか良く出来た話だと思わないかい」
「そうね、出来すぎているくらいよね」
「やはり、藤原氏は、相当古事記作成に関わっていたということになるよ」
「ねえ、私さっき、ふと思ったんだけど、この話って、どこか桃太郎の話に似ていないかしら」
「桃太郎?」
「そう、お供を連れて悪い鬼を退治してくるのよ。なんか似ているなあって思ったの」
「桃太郎ねえ、そう言えば、ちょうど建御雷之男神が行く前に、雉が出てきよ。そうそう、桃もあったよ」
「桃も出てきたの?」
「伊耶那岐命が、伊耶那美命の追手から逃げる時に、桃が追手を退治していたよ。まだあるよ、須佐之男命が、八俣のおろちを退治する前に、河上から箸が流れてくるという場面もあったよ。そこにおじいさんやおばあさんもいた」
「結構そろっているじゃない」
「そうか、なるほどなあ。ということは、桃太郎の物語は、建御雷之男神、ひいては、藤原氏を称える物語、あるいは、古事記のダイジェスト版とも言えるよ」
「そう考えたら凄いわね。わが国で桃太郎を知らない人は殆どいないわよ」
「子どもの時からすでに、古事記の概略が徹底して教えられていることになるんだよ」
「そんなこと、誰も考えていないわよ」
「知らないうちにだよ。桃太郎は、川上から流れてくる桃から生まれる。天降りだよ。だが、そんなことはあり得ない。つまり出自が不明ということだ。でもそれに疑問を持つ人はいない。そして、鬼は悪い、だから征伐して、金銀財宝を奪っても良い。そういう思考経路が幼い頃に植え付けられるというわけだよ」
「でも、楽しいおとぎ話よね」
「藤原氏も出自がよく分からない。元は中臣氏だと言われている鎌足は、天智天皇が亡くなる前に藤原の姓を貰うがその次の日に鎌足は亡くなる。これもあまりにも不自然だ。天皇家も天上世界の天照大御神の子孫だなどと出自が不明なんだよ」
「でも、それに疑問を抱かないようにということ?」
「桃太郎の話があるから疑問に思わないなんてことはないだろうけど、出自の不明に慣らされている。さらに危険なのは、相手が鬼なら何をしてもいいという思考パターンが、今でも頻繁に使われているということだよ。誰かを、あるいはどこかの国を徹底的に悪者に仕立てあげることで、自分の立場や行動を正当化しようとするのは、よく見かけるだろう。つまり、批判が自らに及ばないようにするためのスケープゴートだよ」
「そう言われればそうね」
「でも、桃太郎の話は、我が家でも、子どもが小さい頃によく話して聞かせたよ。ところが、中々鬼退治まで行けないんだよな。それまでに、親のほうが先に寝てしまうから」
「そうね」
「ということで、眠くなってきたよ」
「桃太郎の話をすると眠くなるのは条件反射になっているのかもね」
「きっとそうだろう。もうだめだ、おやすみ」
恒之は、気持ちの良い眠りについた。
恐るべし桃太郎効果といったところであろうか。
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