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由美と行く 
万葉紀行

13、

 わが国における、最も古い歴史書と言われている古事記の原本は、現存していない。
 南北朝時代の写本が真福寺に残されていたのだが、他の書にその存在が全く記録されておらず、偽書の疑いも持たれてきた。
 恒之は、今日の午後、図書館から借りてきた古事記を読み始めた。
 その序文の中で、諸家のもたらした帝紀や旧辞は、真実と違うので、よく調べて、偽りを削り真実を定めて後世に伝えようと、史書作成の発意が述べられている。
 しかし、稗田阿礼にその作業を着手させるも、時世が移り変わり完成に至らなかったとある。
 そして、和銅四年九月一八日、臣安万呂が選定を命じられて、和銅五年一月二八日に完成する。
 恒之は、序文でいくつか疑問に思うところがあったが、引き続き本文を読み進めた。
 天地が初めてあらわれた時、高天原には、まず天御中主神を初め五神の天つ神が、そして次に、伊耶那岐神、伊耶那美神などの神が生まれた。

 この二神は、多くの島と神を造り出すが、伊耶那美神は、火之迦具土神を生んだため死に至り、出雲国と伯耆国の堺に葬られた。
 そして、伊耶那岐命が火之迦具土神の首を切ると、その血や体から、建御雷之男神など多くの神が生まれた。
 しばらくして、伊耶那岐命は、伊耶那美命に会いたくて黄泉国まで追って行くのだが、そこで見たものは、あまりに醜く変り果てた伊耶那美命の姿だった。
 伊耶那岐命は、黄泉国から逃げ出すが、伊耶那美命は、「よくも私に恥をかかせたわね」と、伊耶那岐命に追手を差し向ける。
 黄泉比良坂のふもとまで逃げて来た時、伊耶那岐命は、そこに生えていた桃で、ようやく追手を撃退した。

 伊耶那美命の追手から逃れた伊耶那岐命は、「私は、なんとも醜い、汚れた国に行っていたものだ。体のけがれを洗い清めよう」と言い、筑紫日向で禊をする。
 そして、伊耶那岐命が、左眼を洗った時に天照大御神が生まれ、右眼を洗った時に月読命が生まれ、最後、鼻を洗った時に生まれたのが須佐之男命である。
 そして、伊耶那岐命は、首飾りの玉の緒を天照大御神に授け、「あなたは高天原を治めなさい」と委任した。
 続けて、月読命には夜之食国を、須佐之男命には海原を治めるように委任した。
 ところが、須佐之男命は国を治めず、いつまでも泣きわめくので、伊耶那岐命が尋ねると、「母の国、根之堅州国に行きたくて泣いています」と答え、伊耶那岐命は、怒って須佐之男命を追い払ってしまった。
 須佐之男命は、それならばと天に参上するが、須佐之男命の度重なる悪行のため、天照大御神は、天の岩屋の中にこもってしまった。

 すると、高天原も葦原中国もすっかり暗くなってしまうが、天宇受売命の踊りやそれを見て神々がどっと笑う声につられて天照大御神が外を覗いたので、天手力男神により再び外へ引き出された。
 そして、再び世界は明るくなり、須佐之男命は高天原を追放となる。
 恒之は、そこまで読むと本を閉じた。
 『古事記編纂の意図が序文に書いてあったが、あれは口実で、どうも本当の目的は別の所にあるみたいだ』
 恒之は、今まで読んだところを思い返していた。
 するとその時、内線の電話が鳴った。
 「お父さん、ご飯よ」
 洵子の声だった。
 「そうか、ありがとう」
 夕食の準備が出来たようだ。
 冬休みも終わり、もう一月の半ばを迎えようとしていた。
 恒之は、すぐに降りようと思ったが、序文で、どうしても気にかかるところがあり、もう一度読み返すことにした。
 『古事記が、勅撰の歴史書であるというなら、どうして、その天皇の名前が記されていないのだろう』
 恒之は、原文も見直したが、その名前は何処にも記載がなかった。
 文中に撰録の発端となった天皇の言葉が記されているが、それもきっと天武天皇だろうと推測できる程度で、天武天皇だと明記はされていない。
 その上、その発意をしたと思われる天武天皇の下では、完成しなかったとある。
 「今この時において、その誤りを改めないならば、幾年も絶たないうちにその本旨は滅びてしまうであろう」とまで言い、緊急の課題だとしている。
 では、そんなにまで重要であるのに何故完成させなかったのだろう。
 その理由は、時世が移り変わって撰録はできなかったとあるだけだ。
 そこで、時の天皇が、和銅四年九月十八日に、臣安万侶に「稗田阿礼の誦むところの勅語の旧辞を撰録して献上せよ」と命じるのである。
 その命じた天皇の名前も記載が無い。
 当時の天皇を推定するだけである。
 そして、その完成は翌年和銅五年正月二十八日とある。
 それに要したのは四ヶ月余りである。
 幾年もかからないこの作業が、どうして天武天皇の時に出来なかったのだろう。
 そして、古事記三巻を献上申し上げると、『正五位上勲五等太朝臣安万侶』の名前が序文の最後に記載されている。
 これが唯一正式名称として記載されているものである。
 しかし、安万侶も、ただ稗田阿礼が話すのを記載しただけであり、その稗田阿礼も記憶がいいというだけで人物の特定はできない。
 さらに、誤りがあるとされた諸家に伝わる帝紀や旧辞は特定できず、『何処々々に伝わる帝紀や旧辞のここが誤りである』といった記載も無い。
 つまり、存在不明の帝紀や旧辞を、誰か分からぬ天皇が撰録を指示して、稗田阿礼なる人物がそれを正し、その口述したものを臣安万侶が記載したということになる。
 その上、こんなにも重要な文献であるにもかかわらず、他の文献の何処にも『古事記』なる物の存在は確認できず、原本も残されていない。
 残っているのは、南北朝時代、真福寺にあったとされる写本のみで、それが、わが国の歴史書だと見なされているのである。
 こういったことに疑問を抱く方がおかしいのだろうか。
 そもそも、三巻にもわたる、これだけの内容をすべて記憶して正確に口述など出来るはずも無い。
 そんなことを思っていると、手元の電話が鳴った。
 「こんばんは。明代さんの担任をしている石川と言います」
 「これは先生、娘がいつもお世話になっています」
 「お父さんですか。実は、今日、学校で推薦を決める会議がありまして、明代さんを受験希望校へ推薦することが決まりましたのでご連絡しました」
 「それは、どうもありがとうございます」
 恒之は、そのあとの連絡事項を聞き電話を切った。
 由美の高校受験の時は、そうでもなかったが、明代の受験が近づくと、洵子と二人して心配が募るばかりだった。
 明代は、看護師をめざして、由美とは違う高校を受けるのだが、合格できるかどうか不安な日々が続いている。
 推薦していただいたので、一歩合格に近づいたと言えるかもしれないが、まだ合格が決まった訳ではない。

 恒之は、複雑な思いを胸にしながら下に降りた。
 台所に入ると、洵子と明代の二人は、もう食事を終わろうとしていた。
 「遅くなったのね」
 「ああ、今日から古事記を読みかけているんだ。かなり難しいのかと思っていたが、読めないことはないよ」
 「そうねえ、私も以前読んだような覚えがあるわ。全部じゃないけどね」
 「原文だけじゃ読めないけど、読み下し文や現代文約もあるから、それらを見比べながら読めば、大体理解はできる。でも、かなり怪しいところがあるよ」
 「そう、どんなところが?」
 「もう少し読んでみないと、まだよく分からない」
 そんなことを話しながら、恒之は夕食を食べ始めた。
 「お母さん、模試の結果が今日戻ってきたけど、余り良くなかったわ」
 食器を片付けて明代もイスに座った。
 「そう、じゃあ推薦になるかどうか分からないわね」
 「推薦にならなくても受験できないわけじゃないわよ」
 「まだもう少しあるから、最後まで頑張るのよ」
 「分かってる」
 本当に頭の痛いことだ。
 「そうだ、そう言えば先ほど石川先生から電話があったよ」
 「なんて?」
 恒之の言葉に、洵子が尋ねた。
 「今日、明代が推薦に決まったから、受験申し込みの書類に推薦と記載しておくようにって」
 「ええっ、推薦に決まったの?」
 「そうみたいだよ。担任の先生がそう言って電話してこられたんだから」
 「もう、お父さんたら、もっと早く言ってよねえ」
 「いやあ、なんだかタイミングが」
 洵子は、ちょっとご機嫌斜めだった。
 「でも、推薦といっても試験が無いわけじゃないのだから、しっかり勉強するのよ」
 「はあい」
 試験は一週間後に迫っていた。
 まだまだ、西山家には緊張した日々が続く。


          



                       

     
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