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小林須佐男様へのご返信

小林須佐男様
 
 このたびは、いろいろと研究成果をご教授いただき厚く御礼申し上げます。
 当方も、日々、無い知恵を絞りながら、改竄されたこの列島の古代史復元のために
努力しているところであります。 
 この間頂戴いたしましたご投稿につきましても、大いに参考とさせていただいております。
 ただ、少しご教示いただきたいところがあるのですがよろしいでしょうか。
 
1)卑弥呼と邪馬臺国について
  魏書をめぐって、卑弥呼については様々な説があるところです。
  小林様御説においては、『九州・邪馬台国説は成立しない』(2008年2月18日22:46)と、明解に述べておられます。
  これにつきましては、私も全くその通りだと思います。邪馬臺国が九州だとか近畿だといった説がほとんどのわが国にあっては、非常に心強く思っているところです。
  しかし、一方、『隋書」においては「魏書」の『邪馬壹國』とは『邪馬臺國』の事であると明確に表記している』(2008年2月19日PM8:31)、また、『結論として「邪馬壹國」と「邪馬臺国」は同国と判断できる。』(2008年2月25日AM 3:21)とも述べておられます。
  あるいは、『西暦248年頃の邪馬臺國『女王』俾彌呼』(2008年2月25日AM 3:21)との認識も示しておられます。
 
 魏書にあっては、卑弥呼の女王国である『邪馬壹國』は、伊都国から南に位置しているとありました。つまり、九州です。
 また、同じく魏書で、『女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種』と記され、後漢書では『自女王國東度海千餘里至拘奴國。雖皆倭種、而不屬女王。』と、卑弥呼の国から海を渡って東にも国はあるが卑弥呼には属していないとあります。
 そのどちらの書においても、卑弥呼の居た女王国(邪馬壹國)は、九州限定の勢力として描かれています。
 ところが、御説のように、『邪馬壹國』が『邪馬臺國』の事であったり、その両国が同国だとしますと、さらに卑弥呼が邪馬臺國の『女王』だとしますと、卑弥呼は九州に居りましたから、九州にあった邪馬臺國の『女王』となってしまいます。
 御説では、『九州・邪馬台国説は成立しない』とありますが、逆に、『九州・邪馬台国説は成立する』ことになってしまいます。
 よく理解できません。
 何卒、そこのところを、どう考えたら良いのかお教えください。
 
 
2)邪馬臺国について
  また、御説で、『邪馬臺國は、意宇出雲国』と述べておられます。
  これについても、まったく異論の無いところであります。
  ただ、隋書で、隋の使者がやってきます(608)が、御説では、その時の首都は、『邪靡堆(野洲近江王朝)』)(2008年2月19日PM8:31)だとされています。
  あるいは、范曄の「後漢書」東夷列傅倭条の編纂時の445年頃には、既に倭國の首都が“邪靡堆”、現在の滋賀県琵琶湖南岸に遷都していたとの認識も示されておられます。范曄は、446年に亡くなっていて、後漢書は432年に完成されたとなっています。そうしますと、430年以前には遷都が行われていたことになります。
  どうして遷都することになったのでしょうか。
  それは、出雲からの遷都ということでしょうか。
  どちらにしても、御説の『邪馬臺國は、意宇出雲国』と矛盾することにはなりませんでしょうか。
 
 
3)同じく邪馬臺国について
 隋書では、『都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也』とあり、都は邪靡堆にあり、それは魏書の頃と同じ『邪馬臺』だと述べています。
 それは、どちらも、その地に使者が行って確認しています。
 そうなりますと、魏書の頃と同じであれば、『邪馬臺國』は、御説によると魏書の頃から琵琶湖南岸にあったとなってしまいます。
 また、魏書の頃に『邪馬臺國』が出雲の地であるなら、隋書の頃も出雲の地だということになります。
 御説では、5世紀に遷都しているとされているのですが、それ以降は『琵琶湖南岸が、邪馬臺國』だったということになります。
 では、御説で『邪馬臺國は、意宇出雲国』とされているのはいつ頃からいつ頃までのことなのでしょうか。
 
 
4)野洲近江王朝について
   5世紀以降に、琵琶湖南岸に、この列島の都が存在していたとの御説ですが、そうなりますと、出雲に匹敵するか、あるいはそれを凌ぐほどの遺跡や痕跡が残されていても不思議ではありません。
 しかし、琵琶湖南岸にそのような遺跡やあるいは古墳群といったものを私は存じ上げておりません。
 もし、その野洲近江王朝に相当する痕跡といったものがあるようなら、文献等も含めてお教えください。
 
何かとお忙しいこととは存じますが、どうかよろしくお願い申し上げます。
 
みんなで古代史を考える会
西山恒之
 



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