今昔なぜなぜ?      Q & A

<神話>

「神話は何を意味しているのですか?」

 記紀に描かれている「神話」が何を意味しているのかは、長年の謎だったとも言えます。
 そこにあっては、いわゆる大和朝廷の正当性を伝えているとも言われています。つまり、今に残る天皇制のルーツです。
 では、その「正当性」なるものが、そこにはあるのでしょうか。天皇は、天照の子孫だとされています。そうしますと、その天照なるものが何者なのかというところになります。古事記にあっては、その天照は、男性神イザナギが日向で顔を洗った時に左目から誕生したことになっています。その折に鼻からはスサノオ尊が誕生しています。全く、あり得ない話です。
 また、天照の曾孫とされる山彦ですが、その妻豊玉姫が出産する時に、山彦は妻から産屋を覗かないようにと言われます。しかし、山彦は、覗いてしまいます。すると、そこには八尋大鰐(やひろおおわに)がのた打ち回っていたとあります。つまり、その妻は、今で言うサメの化身だったのです。その時生まれた子と豊玉姫の妹玉寄姫との間に誕生したのが神武天皇です。もし、これが事実だとしたら、天皇は、人類ではなくなってしまいます。このあり得もしない形で誕生している『天照大神』や『神武天皇』が、皇室の祖先だと今もされています。
 問題は、どうして、こういった有り得もしない「神話」なるものが創作されたのかということです。
 それを突き詰めていきますと、西暦663年11月18日(旧暦10月10日)、唐王朝によって、この列島の都があった「出雲(当時はやまとと呼ばれていました)」の地が、占領・征服されていたところに行き着きます。もちろん、この列島全域もその支配下に置かれました。その詳細は、資治通鑑に残されています。唐王朝第3代皇帝李治の皇后武則天の時に、この列島が征服されているので、今もこの列島には武則天の影響が色濃く残されています。天皇もそのひとつです。
 武則天は、道教の理念から皇帝を天皇という呼称に変えました。しかし、武則天の失脚後はふたたび皇帝に戻されています。ですから、中国皇帝制度の中で、天皇を名乗ったのは、武則天の夫李治のみです。つまり、この列島に天皇制が誕生したのは、唐王朝の支配がこの列島で確立した大宝律令以後です。
 この列島を征服した唐王朝は、自らがこの列島を征服したことを隠蔽し、さも太古の時代から支配していたかのように歴史を作り替えました。
 この列島には、紀元前より多くの民族が大陸から渡来しています。ですから、大陸との関連なしにこの列島の歴史は解明できません。ところが、記紀認識にあっては、この列島で人類が誕生したかのように描かれています。
 つまり、大陸との関係を一切排除しています。
 したがって、記紀のみならず万葉集や我が国に残されている多くの遺跡・古墳・神社・伝承等々あらゆるものと、大陸に残されている歴史を突き合わせることによってのみ我が国の古代の姿を知ることができます。
 そうしますと、記紀に残されている神話が何を意味し、そこに何が秘められているのかが見えてきます。そして、どうして、大陸の史書のようにダイレクトに歴史を残さなかったのかも見えてきます。
 そこからは、紀元前にまでおよぶこの列島と大陸もはるか中東までもエリアとした壮大な民族の興亡の歴史が鮮やかに浮かび上がってきました。それこそが、私たちの民族的ルーツでした。
そのキーワードは、唐王朝による歴史改ざんです。


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