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小林須佐男様からのご投稿

(2008年2月25日14:49)

みんなで古代史を考える会

西山恒之 様

機敏な対応を頂きましてありがとうございます。

この度は、お手数をおかけ致しまして誠に申し訳ございませんでした。
古代日本史の真相を究明させようとしている、西山 様の姿勢に対しまして敬意を表します。
私は、万葉集につきましては全く疎いので、西山 様の見解につきまして検証するには至難です。
でも、西山様の論旨は大筋では理解できそうです。

西山様の論文を拝見後、『大倭王』について調べておりますが、「葛城一言主神社」』(鎮座地 奈良県御所市森脇字角田432)の祭神である“葛城一言主大神”が『大倭王』と思われます。
「葛城一言主神社」は「いちごんさん」とも呼ばれ、全国各地の一言主大神を祭神とする神社の総本社。
「古事記」や「日本書紀」「土左国風土記」「続日本紀」にも登場する「一言主大神」が祭神であり、どのような願い事でも一言だけ聞いてくれる神様と言う。
紀元5世紀の雄略天皇(在位AD456年~479年)の権威・実力が、古代屈指の有力豪族であった「葛城一言主大神」には全く頭が上がらなかった、と言う条文が「古事記」雄略天皇条の御代に記載がある。
※『日本書紀』では雄略天皇4年春2月の事とされている。

原文『於茲倭國、除吾亦無王、今誰人如此而行(略)』
訳『我が国には自分(雄略天皇)をおいて王は無いものを、誰の行列だ』と問えば、相手は
原文『吾者雖悪事而一言、雖善事而一言、言離之神、葛城一言主大神者也』
訳『私は凶事も一言、吉き事も一言で解決する葛城一言主大神であるぞ。』と申された。

これを聞いた雄略天皇は「惶」びくびくと「畏」恐れうやまい『葛城一言主大神が現し御身をお持ちになろうとは存じませんでした。』と謙り、大御刀および弓矢、百官人に着ている衣服を脱がせて葛城一言主大神に貢献している。

この辺りの場面が「古代河内政権の研究」著者・直木孝次郎(塙書房刊)にて詳しく記載がある。

簡単に述べると、暴君と言える雄略天皇ですら、葛城山「神の化身」である、賀茂族系葛城一言主大神を畏敬していた
事を如実に表記している。「高知県歴史辞典」によると「土佐神社」祭神の味?高彦根尊(迦毛大御神)と一言主大神が同神であろうと比定している。また「土佐神社」(土佐国一の宮)の創祀は西暦460年と謂う。

以上「古事記」雄略天皇条の記載から考察すると、紀元6世紀頃までは、大和王朝よりも意宇出雲・邪馬臺國系の味耜高彦根命(迦毛大御神)こと葛城一言主大神に倭國の本流が引き継がれ、躬臣國こと後の近江国輩出の継体天皇(近江国高嶋郷三尾野にて誕生)から淡海国(近江国)邪靡堆の野洲近江王朝が倭国の中心王朝であったと判断できる。

そして、欽明天皇、穴穂部間人皇后、聖徳太子と繋がり、大和朝廷の基盤が構築され、蘇我一族が台頭すると考察すべきが妥当であろう。
穴穂部間人皇后(聖徳太子の母)の祖父・継体天皇は、御年82歳で山城国余玉穂宮(いわれたまほのみや)にて崩御という。

奈良時代に編纂という「土佐風土記」逸文に「土佐神社」の記載がある。「土佐神社」の祭神は大穴六道(おおなむじ)尊こと大国主命の子、葛城一言主尊と味?高彦根尊。

原文『土佐国風土記曰 土左郡、郡家西去四里、有土左高賀茂大社、其神名為一言主尊其祖未詳、一説曰、大穴六道尊子味?高彦根尊』

訳『「土佐国風土記」で「曰」いう。「土左郡」高知県土佐郡の「郡家」郷庁の西方向4里に「土左高賀茂大社」がある。

其の「神名」は「一言主尊」こと葛城一言主大神である。其の祖先は「未詳」であるが、一説で曰う、「大穴六道尊」大穴牟遲神こと大国主命の「子」味?高彦根尊こと迦毛大御神である。』

この葛城一言主大神こと迦毛大御神(味?高彦根尊)については「古事記」長谷朝倉宮巻と「釈日本紀」「土左国風土記」「続日本紀」「諸神記」「神社啓蒙」「讃岐国官社考証」「土佐国式社訂正」「古史伝第百十七段」「延喜式神名帳」「日本書紀」などに登場しているのだが「古事記」の表記が一番最初のものと思われ信憑性が高いと判断できる。そして「土佐国編年紀事略」巻一にも『一言主神ハ即葛城ノ高賀茂ニ坐ス味?高彦根尊也』と記載されている。

この様に、紀元6世紀頃までは、意宇出雲・邪馬臺國の須佐之男命(素盞鳴尊)・大国主命・葛城一言主大神こと迦毛大御神(味?高彦根尊)の勢力が倭國の本流であった事を物語っており、後の邪靡堆「野洲近江王朝」の阿毎王・多利思比孤・阿輩?彌こと用明天皇(大兄皇子・橘豊日天皇・池邊天皇)と聖徳太子に継続されて来ているものと判断できる。


以上、西暦400年代に倭國において“葛城一言主大神”が絶大な勢力をもっていた
事が明らかであり、

「後漢書」に登場記載の『大倭王』とは意宇出雲・邪馬臺國王族の末裔である賀茂族系“葛城一言主大神”と比定する。

2008年2月25日

小林 須佐男





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